良寛さん 日経新聞 |
区内の自宅で藩々と説く。、道元が唱えた座禅の心構えとは、無限の現実を投げ捨てて、
善も考えない、悪も考えない。悟り凌開いて仏になることすら意図してはならない。究極的に
は、仏になることから脱却する意志も捨ててしまえ、というのである。
「良寛が托鉢したり、庵で漢詩や和歌を作ったりすること。それだけではない。子どもたち
と無念無想で手まりをつく世界に投入することも、欲も得もなくおはじきをすることも、彼が
自指した道元の座禅の心構えに通じることなのではないか」と話し、こう結ぶ。
「周囲から妙な目で見られようが、騰々として今を生ききる良寛の行為全体が、良寛の禅と
言えるのではないか」若いときから、現実の社会に適応できずに苦悩し続ける。後半生になって独り道元禅の世界に没入。自然に任せる生き方をしているうちに、独白の境地に到遷したのだろうか。 (特別編集委員 足立則夫)
老年の目指すところは、良寛さんなるも、されど・・・