川上弘美『真鶴』を読んで |
分ち難い女性につjまとわれ、失った夫に対する愛と新たな男との性のはざまに揺れる「わたし」の生の証しを彼女から告げられる。「する」「にじむ」「通り抜ける」などの生の動詞が律動して、崖と死をまたぐ世界を透祝させる文体は「まさしく「平成文学」の鮮やかな登場を示したのではないだろうか。 坂本 忠雄氏 元{新潮}編集長 平成文学 私が選ぶこの10冊より
と中央公論に出ていたので、読み終わりした。
単純に楽しめる小説では、ありませんね。つい、いったいこの主人公の夫、礼は、生きているのか、なぜ失踪してしまったのか、それが頭に残るために、結末も楽しめません。
そして、幻とも現とも思える状況には、そのまま引き込まれt、幽玄の世界を一緒にさまよいこともあるのですが、なんとこ、心もとない小説であしました。
<出産の時に>
生死にかんすることだから違う場所だった、というのでもな。ただ、単純に違うのだった。普段の生活が、いくらでもしみ入ってくる感じもあった。痛みのまんまんなかに。生むときの、きばって踏みしめている足もとのあたりに。
<不倫の相手から>
「いないから嫉妬する」と青慈(本当は心なし)
「いないのに、ついてくるから嫉妬する」といいなおした。
<娘のこと>
母から
百(娘)に、もっとふれたいのね、あなた。
母が静かに言った。
でも、人は、そんなにかんたんに、人にふれさせてもらえないのよね。
つづけて言った。
・・・・・・あなただって、昔は、あたしに、同じだったでしょう。
・・・・母も、わたしによって傷みをくわえられたのだ。
・・・東京には生活がある。生活にかくれることができる。真鶴には、なにもない。
<娘と祖母>
寒天は冷蔵庫に入れなくても固まるのよ。母が教えている。でも冷たいほうがおいしいから、いれようよ。百がたのむ。たべものをあつかう手の、皺の深いものと、すべらかなものと、少しゆるんできているものが、ふれあったり、離れたり、かさなったりする
抜き書きしたのは、会話で、すごくリアリティーがある部分と何か、現実離れしている何か。
良く分からないのですが、なにか、引き込まれるのが川上ワールドなのでしょうか?
礼、遠いいつか、あなたとも、会えるのね。
真鶴の夜の海のさざなみのたつおもてに、燃えさかる船は沈んでいった。何もないところから来て、何もないところへ戻ってゆく。百のやわらかい声が遠くでひびき、公園いっぱいに光が満ちた。