内田百閒 意外に魅力的な人のようです |
一九六七年暮れ、百聞は芸術院会員に内定した。会員になれば年金も出る。長年へ借
金にあえいできた身にはありがたい話だ。ところが前祝いに駆けつけた弟子たちに先生
は言う。「辞退したい」
古い教え子の多田基氏が口上メモを手渡され、高橋璽郎院長にそのまま伝えた。
それはこんな文言だった。
○御辞退申シタイ
ナゼカ
○芸術院卜云フ会二道入ルノガイヤナノデス
ナゼイヤカ
○気ガ進マナイカラ
ナゼ気ガ進マナイカ
○イヤダカラ
撃は週刊誌も伝え、
ヤダカラ、イヤダ」と一歩も引かぬ老大家のたたずまいが話題になった。百聞は七十八歳。
体功痛感え、弟子たちが開く「摩阿陀会」にもやがて欠席するようになる。しかし、偏屈さに隠れたこまやかな心遣いは変わらなかった。