宮里選手の雰囲気の違う写真を見つけたので |
”転機が訪れたのは、初めての最終日最終組を迎えた4月のギンクラブズ&リゾーツオープン。スタート後、早々に崩れ、5位タイに終わった宮里は周囲の視線もはばからず大泣きした。それは宮里がアメリカで初めて見せた「弱さ」であり「素」の姿。「悔しい」という本音を初めて口にした試合だった。そして、あの涙は、息苦しさに耐えながら身にまとっていた重く固い鎧(よろい)を流し去り、鎧の下に隠れていた本来の「藍らしさ」を引っ張り出す役割を果たした”
【特別コラム】宮里藍(1)~苦しみから涙まで
「世界を目指すつもりでここへ来た。最低でもシード権。できれば、勝ちたい」――今季、米女子ツアーデビュー戦となったハワイのSBSオープンで宮里藍が口にしたこの言葉が今では懐かしく思い出される。日本で12勝の実績を引っさげ、鳴り物入りで米ツアーに登場した宮里。しかし、その胸の中には、大勢のファンや山のような日本人メディアから突きつけられる「初優勝」の3文字が溢れ返り、つぶれそうだったに違いない。
夢にまで見た米ツアーの厳しさは宮里を苦しめた。48位、24位、56位……成績は振るわない。「最初からうまくいくとは思っていない」と自らに言い聞かせながらも、「いい集中力が保てた」「内容は悪くなかった」と強気の発言に終始。弱みを見せず、前向きに、気丈に……。生活習慣や英語にも積極的にトライし、慣れないアメリカで早く結果を出したい気持ちが膨らむ一方で、その思いが数字につながらない苛立ちは高まる。それでも、やるしかないと歯を食いしばる宮里は痛々しかった。
転機が訪れたのは、初めての最終日最終組を迎えた4月のギンクラブズ&リゾーツオープン。スタート後、早々に崩れ、5位タイに終わった宮里は周囲の視線もはばからず大泣きした。それは宮里がアメリカで初めて見せた「弱さ」であり「素」の姿。「悔しい」という本音を初めて口にした試合だった。そして、あの涙は、息苦しさに耐えながら身にまとっていた重く固い鎧(よろい)を流し去り、鎧の下に隠れていた本来の「藍らしさ」を引っ張り出す役割を果たした……。(つづく)