<ジェイクシマブクロコンサート感想> H15.8 |
<ジェイクシマブクロコンサート感想>
超絶テクニック、目にも止まらぬ指裁き!
見て聞くと驚き!
超絶テクニック
蜂の羽の様なトレモロ・・・・
切ないメロディー、春よこいも・・・
たたきつけるようなクレイジーG!も、
すごいとしか言いようがありません!
あの大音響には、年よりは参ってしまいましたが、
若い女性にあれだけの人気はわかるような気がします。
スゴイな、もしかしたら大フィーバーが起こるかもしれない。
その辺のアンちゃんとどこが違うの、日本語がしゃべれないだけジャン!
でも、スゴイ!スゴイ!
自分でウクレレ弾くのが嫌になりますね!
時折、習いたての大阪弁を披露して、
茶目っ気のあるところも見せてくれました。
若い女性が4分3?、
ネクタイのおじさんお兄さんが、おば様が、チラホラと言った感じです。
若い女性の多いのにはびっくりでした。
そのまま、ハワイから来た感じの方も・・・・アロハなんて・・
まあネクタイで行く方がオカシイかも
2003.8.1 大阪でのコンサートにて
Jake シマブクロとは何もか?
ハワイ州ホノルル出身。1976年11月3日生まれ。わずか4歳よりウクレレを始め、高校を卒業したばかりの98年PURE HEART / ピュア・ハートのメンバーとしてプロ・デビューを果たす。ジェイクの登場はそれまでのウクレレ・ミュージックの概念を大きく変えることに。ウクレレという楽器の持つ即興性はもとよりクラシックやジャズ、ロック、ブルーズ、ファンク等ありとあらゆるジャンルの音楽を見事なまでのテクニックとフィーリングで網羅し、綿々と続いてきたハワイアン・ミュージック・シーンに多大な影響を与えた。
PURE HEART/ピュアハートは同年デビューアルバム、「ピュアハート」をリリース。そして翌年にはハワイにおけるグラミー賞に値するナ・ホク・ハノハノ・アワードで新人賞、最優秀アルバムを含む4部門で受賞。その後00年にもセカンドアルバム「ピュアハート2」で再び同賞を受賞、その後、PURE HEART/ピュア・ハートを解散し、同年には新バンド、COLON / コロンを結成。リリースしたアルバム「THE GROOVE MACHINE」で3年連続のナ・ホク・ハノハノ・アワードを受賞。そしてCOLON / コロン解散に伴い、02年1月にはソロ・アーティストとしての活動を再始動させる。
そんなジェイク・シマブクロはレストランやイベント等で定期的にライヴを行う一方で、地元大手医療グループと組んで“ミュージック・イズ・グッドメディスン”プログラムをプロモート。学校や老人施設を訪問し、音楽を通じて子供達の清い成長と健康の大切さをアピール。さらに今年からニューヨークのケネディシアター所属のハワイ・アーツ・アライアンス(ハワイ・アート教育協会)とも組んで学校教育におけるアート教育の重要さを訴えるスポークスマンとしての活動も始めている。
ライヴではこれまでに数多くのミュージシャンとも共演。ジャズシンガーのダイアナ・クローやゴスペルグループのテイク6、そして女性シンガー・ソングライター、フィオナ・アップルのライヴではオープニング・アクトを務め、ロックバンド、ブルーストラベラーのステージではシンガーでハーモニカ奏者であるジョン・ホッパーと共演。ウクレレとハーモニカでリード交換というホットなジョイント演奏も果たす。さらに毎年行われている“ハワイ国際ジャズフェスティバル”への出演やホノルル交響楽団とのコラボレーション等、その活動の幅は広がっている。
また01年2月9日に発生したハワイ沖の宇和島水産高校実習船沈没事故に大きな衝撃を受けたジェイク・シマブクロはすぐにも「えひめ丸」という楽曲を制作し、そのCDの売り上げ金を遺族と被害者のために寄付。このことは全米のメディアは勿論のこと、日本でも01年3月3日付の朝日新聞がコラム「ひと」で取り上げたり、ほとんどのTV局の主要ニュース番組で報じられた。