日経新聞から 叫び 斉藤恵子 夕区より |
があった。詩集の内外で波音がした。海辺の町で生きる人々の、
凄みのある諦念が、ひたひたと詩を覆う。
盛りあがりせめぎあい/怖れ退くように見せながら/暴徒と
なる/いななく白馬となる/虹を走らせうねる/繰り返しの永
遠には/退屈はふくまれない
これは「淵より」という作品の冒頭。波の描写だが、詩集全
体の印象がここに重なる。単調とも思えるリズムで貫かれてい
るのだが、退屈でない。むしろ、引き込まれる。作品中の「私」
は、「海」であり「貝」であり、いずれも核心に「叫びをもつ」。
叫ぶとは伝えることではない/互いに交感することでもない
/内部でわきあがるもの/突き破ってくるもの/あふれるもの
だ/声を放つのではない/声は届けようとする意志を持つ/叫
びは自身の存在を確かめるだけだ (同作品三連目部分)
詩論のようにも読める部分だ。斎藤さんにとって詩は、何
かを伝えようとする「声」などでなく、自己の存在を確認する
ためにあげる「叫び」なのだろう。
けれど詩は最後、叫びのあと、
「ひたひたと満ちてくる」調和の沈黙へと、わたしたちを誘う。
個の叫びが、やがて層雲になり、藻草となり、世界という「私」
にとけていくのだ。
自他の区別が消える境を、詩の言葉は自ら、探りながら浮遊
していく。原始の波動が読者に及ぶ。目を凝らすうちにわたし.
もまた、この詩集へ寄せては返す波になっている。