人生のほんとう 池田晶子 最初から難問? |
自分の死はないという、この話は、理解が難しいですが、そう言われてみれば確かに自分で死をJ感じることはできないわけで、ないと言えばない?
テーマは、常識、社会、年令、宗教、魂、存在と続きます。
<常識>
人生とは何かという問いは、イコール生存とは何かです。そしてこれはさらに考えると生きていることのあること、すなわち存在とは何かという問いに直結しています。人生とは何かとは、とりもなおさず存在とは何かという。これは完全に哲学の問題なんです。
自分が生きていて、いずれ死ぬ。これは当たり前のことだと、皆さん思っていますね。確かにまったく当たり前です。このあたりまえさ加減は一体何なのか。、それと私は、非常に不思議なんです。この一体どういうことなのか。死ぬというけれども、その死ぬということはどういうことのか。死んでしまった人から、人は死の話を聞くことは絶対にできません。ですから我々が生きている限り、死ぬことは絶対に知らない。考えようにした。考えようとしても知りようがないですね。だって生きている人は誰もそれを知らないんだから、。
普通人が死ぬという言葉で表象し得るものは、他人の死と自分の死をごっちゃにしたものです。自分が死ぬことは、どう考えても考えられません。なぜならば、自分は現に生きているからです。自分の死というものは、よく考えると考えられない。なぜならそれはどこにもないからです。この世界のどこにも自分の死というものは存在しない。