なんか、気になるな、この方 松尾直子さん |
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2018年 12月 17日
初回の時、飲みっぷりを自慢(笑)してましたが、なんか気になりました。 ちょっと破天荒な感じもするけど、感性が凄いというのか、 ハートの声に導かれその後、連載はされているはずなのに、目に入りませんでした、どうしたら、見れるかな? そうだ、ネットで探そう、 第二回 つまみぐい 常識や「正しさ」の枠からこぼれ落ちてしまうものの中に、大事な何かがある気がした。それを知りたくて、多種多様な世界で色々な生き方をする人びとに実際に会ってみようと、私はアナウンサーになった。 テレビやラジオの仕事を通して多様な人に会い、色々な思いを感じ、とても楽しかった。ただ、やはり日本では「長いものには巻かれろ」。おかしいと思っても、浮いた存在になるのを恐れて周囲に同調し、自分の思いをのみ込みがちだ。のみ込んだ思いは沈殿してストレスとなり、爆発する場合がある。内側で爆発すれば、不登校や引きこもり、欝(うつ)、自殺に、外へ向かって爆発すれば、八つ当たりやいじめ、DV(家庭内暴力)、犯罪にもつながりかねない。 周りに忖度(そんたく)して抑え込んだものの中には、大切な自分らしさがたくさんある気がした。それらはダメなのではなく、表現する手立てをもっと工夫すればいいだけではないか。日本ではダメでも、他の国々や異文化の下ではOKだったりはしないか? 本当はもっと多様な生き方ができるはず! まず自分で体験し、日本に紹介したいと思った。宮崎放送を3年半で辞め、多様な生き方の可能性を探し求めて1986年、米国ニューヨークへ旅立った。 第三回より 1986年、26臓で宮崎放送の局アナを辞め、米国ニューヨークヘ単身、乗り込んだ私を待っていたのは言葉の璧だった。受験英語では、ついていけない。英語学校は日本人の生徒が多く、日本語が飛び交っていた。そこで私はラジオを先生にしていつもイヤホンで英語を聞いた。 ある日、学校で「l have a narrow escape」という熟語を習った。「九死に一生を得る」という意味だ。「そんな言葉は使わないでしょ」と思って街を歩いていたら、いきなり逞しい腕にグイツと引き戻され、次の瞬間、目の前を車が走り抜けた。イヤホンから薦れる英語に気をとられていた私を黒人男性が救ってくれたのだ。「九死に一生」を身をもって学んだ。 翌年、ニューーヨーク大学大学院に入り、異文化間コミュニケーションと文化人類学、放送学を専攻した。講義は日本とは大違い。教師は機関銃のようにまくし立て、学生はときに5人も同時に発言するが、誰も譲ろうとしない。謙虚さは敵だ。 皆がひと通り話し終えない限り、私は発言できない。教授とのやり取りでも、相手の意見を認めてから考えを述べようとすると「ほら、ナオコは私に賛成した」と決め付けられる。「私はこう思う」と違いを最初から強調しなければ聞いてもくれない。日本を出る前、「私は日本的じゃない」と思っていたが、骨の髄まで日本的である自分に気がついた。 だが、慣れてくると、日本人の友人と話していても、意見が違うときは、自然と英語に変わった。日本語ではケンカになりそうな話も英語だと言いやすい。違いを恐れる日本と大事にする米国。文化の差が言葉にも織り込まれているようだ。 多様な国から来た人々が共生するには、違いを表現する自由が不可欠だ。独創的な意見は尊重され、皆よく褒め合う。一方、自分を上手くアピールしないと認められず、会社から解雇されたり、離婚訴訟になったりしかねない。自分しか頼れない緊張感も漂う。自由は責任を伴う。周りに合わせる日本とは対極にある二ューヨーークで暮らして、私自身の軸はどこにあるのかと考え込んだ。 ホームレスを取材中に出会った男性は、拾ったニューヨーク・タイムズを読みながら語ってくれた。「僕は実は会社を数社経営し、お金も豪邸も家族もあった。でも、そんながんじがらめの生活が嫌になって、ある日、全てを捨ててホームレスになったんだ。今は気ままで自由で快適だよ」。サバサバした表情で話す彼の横顔は、大都会の仙人のようにも見えた。本当の自由って何だろうと考えさせられた。 その後、私は公募に応じて日本テレビ系列の「ズームイン!! 朝!」のリポーターに採用され、数多くのリポートを日本に送った。世界中から来た人々に会い、生き方の無限の可能性を感じた。ある文化人類学者の言葉が心に残る。「人は何億通りもの生き方ができる。ただ、そこから一つを選ばないと生きられないのも人間だ」。だからこそ、今どんな生き方を選ぶかが大事で、それを決める力は自分にあると思った。2018/11/22 第5回は、新聞でみつけました、隔週なので、見つけにくかったのかもしれないです。 ニューヨーク大学大学院で学ぶ私は日本に恋人を残していた。メールもない1980年代、山のような手紙と毎月10万円もの電話代で繋がる遠距離恋愛だった。その彼がこちらに来てプロポーズしてくれた。私は即刻了承し、テレビリポータ?の仕事を辞め、大学院も休学して帰国した。結局、色々あって婚約を解消し、大学院の修士論文を仕上げにニューヨークヘ戻った。 論文執筆に専念しつつ、私は罪悪感を覚えていた。冬の寒空の下、周りでは大勢のホームレスが毎日亡くなっている。私は世の中の役に立っていない。それなのにアパートで安穏と暮らしていいのか。自分の存在に疑問を感じ、毎日、大学の図書館の自販機のアップルパイー個しか食べずに論文を書いた。 クリスマスイブのことだ。雪の街を歩いていると、体じゅうに袋をぶら下げたホームレスの男性が立っていた。極寒の中、明日まで生きられるだろうかと思った瞬間、目が合った。すると、彼が私にほほ笑んでくれたのだ。とても、とても温かい笑顔に、涙があふれ出た。凍りついた私の心をその笑顔が溶かしてくれた。「人間って、すごい」。自分が死に直面している状況でも、あんな温かな笑顔になれるのか。闇の中の光を見たように感じた。その笑顔は今でも私の心の中で輝いている。 ニューヨークの地下鉄では、「コインをくれ」とカップを振りながら物乞いがやってくる。求めに応じているのは、裕福そうな白人よりも貧しげな黒人の方が多い気がした。当時、治安の悪かった街ハーレムを何度も取材したが、温かい住人が多かった。悲しみを肌で知る人は他人の悲しみにも寄り添えるのだろう。 修士の学位を取り、「価値観や生き方の違いから生じる様々な摩擦を教育面から変えられないか」とニューヨークのユニセフ本部を訪ねて訴えた。応対してくれた日本人の担当者に「うちでは出来ない」と断られたが、代わりにNHKスペシャルの国際共同制作の仕事を紹介された。 それが、4年間の米国暮らしを終えて90年末に帰国した私の、日本での初仕事となった。 (心理カウンセラー)=11回 第六回より 個性を活(い)かす教育に興味があった私は、幼児教育教室を全国展開する七田(しちだ)チャイルドアカデミーを取材した。 絵や文字が書かれたカードを高速で見せたり、海の中で魚と遊ぶイメージを広げさせたりして右脳を刺激し、その潜在力を引き出し、心を育む。生き生きと学ぶ子たちの姿に触れ、この教育法を提唱した七田眞校長(故人)、藤山守重社長(当時)と意気投合し、アカデミー本部で企画・広報の仕事を担当した。 脳の仕組みなどを学んで講師の資格も取り、講演のため七田校長と全国を回った。各地の教室に通う親子向けの新聞も編集し、子どもたちから絵や詩、俳句などが寄せられた。 当時3歳だった大阪のレイカちゃんは、永遠の美しさを求めた辰子が龍に変化(へんげ)したという秋田県・田沢湖の伝説を聞いて感激し、「辰子姫を描く」と言って、見事な龍をすらすらと描き上げ、世界児童画展に入賞した。心に見えた龍の姿を描いたという。右脳が活性化すると、直感やひらめき、創造性が生まれ、イメージがわき上がるといわれる。ジョン・レノンや宮沢賢治ら多くの天才も作品は自分の心の中に見え、聞こえたと語っていたという。 イメージは体にも影響を及ぼす。上手に泳ぐイメージをして水泳がめきめき上達した子や「体中のばい菌をキラキラ怪獣でやっつけた」と言って病気が治った子の話も聞いた。 大人でも右脳を活かせば、より自然に、豊かに生きられる。コツはリラックスし、子どものように無心に物事を楽しむことだ。誰もが持っていた純真な子ども心を蘇(よみがえ)らせるためにどんな活動ができるか。私の中に様々なイメージがわき上がった。 第七回より 一過性のイベントに終わらせず、自然で楽しい生き方を日常でも実践できるよう「学びの楽園GAIA」も仲間と始めた。東京・吉祥寺で毎週、心と体のセミナーや自然食、野草を食べる会などを開いた。 こうした活動を聞きつけた東京のたま出版から、「雑誌に連載しないか」と声をかけられた。子供のようにハートを開くと何げない日常に心が躍り、直感やアイデアが湧き、人と心で響き合える。心がワクワクすることを実行すると縁が結ばれ、物事が自然に展開する――、私が実感した生き方を記事にした。 「そろそろ本も書きたいな」と思ったころ、連載を見た講談社の編集者から「本を執筆してほしい」と電話があった。眠れる力を活(い)かして自分らしく輝くヒントをまとめた「インナー・チャイルド~人生がワクワクしてくる子供心の超パワー~」の出版が決まった。 原稿を書き上げた日、恋人と暮らしていた私は「子供がほしい」と仲間に宣言した。しばらくして妊娠したが、激しいつわりに苦しんだ。さらに切迫早産の状態になって数カ月間入院した。出版された97年夏は絶対安静の入院中。書店に並ぶ自分の本を見ることもできず、著書に載せたセミナーやCD、学校づくりの活動への多くの問い合わせ電話にも答えられず、とても申し訳なかった。 生まれた娘は可愛かったが、手のかかる子だった。とても仕事は続けられず、全て辞めた。出産を機に彼とは次第にすれ違いが増え、私はシングルマザーになった。 第八回より 2018/11/26 娘の小学校入学を控えた2003年、夢の実現に踏み出した。人・社会・自然とのつながりの中で楽しく個性と創造性を伸ばす体験型フリースクールの創設だ。全国から小学生を募り、合併によって香取市になる前の千葉県栗源(くりもと)町に「夢の花咲く大地の学校」を開こうと決めた。 きっかけは町内で約2万坪の自然農ログイン前の続き園「くりもと地球村」を運営する男性との出会いだった。知人に紹介され、学校の構想を説明すると「3階建てのログハウス、広場などを寄宿舎や学びの場として活用して」と言ってくれた。また、農園の隣の敷地を借りて、私も理事の一人だったNPO法人が宿泊施設を整備した。少子化に悩む町役場の協力も得た。 軸は、暮らしの中で子どもが興味を持ったことをテーマにする「プロジェクト学習」だ。例えば、6歳のイチゴ好きの子なら農家を訪ねて話を聞き(社会科)、イチゴを育てる過程で命の仕組みを知り(理科)、畑作りの際は畝(うね)の長さを測って苗の数を割り出し(算数)、観察日記をつけ、発表して国語力を養う。さらにイチゴの歌を作り、絵を描いて感性を磨き、収穫したらジャムにして皆に振る舞う。自分の好きなことを学びながら発展させ、周りも喜び、生活が豊かになる体験は、人生を自分らしく切り拓(ひら)く力を培うだろう。 日常のルールなども子どもたちが話し合って決め、協力して物事に当たる精神とコミュニケーション力を育む。様々なプロジェクトを支えてもらう外部の専門家も募集した。 自然体験ツアーを何度も企画して私たちの取り組みを説明し、入学希望の親子も集まってきた。全て順調に進み、開校は目前だった。やるべきことは山ほどあり、睡眠時間を削って休みなしに頑張った。 あまりの忙しさに、「ケガでもしないと休めず、娘と話も出来なくなる」と思った矢先の04年2月22日のことだ。自宅近くの横浜市内の交差点を青信号で直進中、右折しようとした対向車が突然、突っ込んできた。私の車は大破し、ムチ打ちと肋骨(ろっこつ)骨折の重傷を負って救急車で運ばれた。1年間の療養を余儀なくされ、学校づくりは頓挫した。 (心理カウンセラー)=全11回 まあ、なんという人生なんだろうか? 第九回より 欧米の深層心理学も学び、親子関係講座の講師資格も取った私は2005年、「manaレインボー」を主宰し、横浜市で自己成長や子育て、コミュニケーション、人間関係などについてのセミナーとカウンセリングを一人で始めた。 自己成長セミナーでは自分らしい生き方を選び直すお手伝いをする。「こうすればいい」と頭ログイン前の続きでわかっていても、生き方を変えるのは容易ではない。どんな生き方でも、それを身につけた理由があるからだ。 例えば、幼い頃からよく親に「バカなこと言うな」と怒られたAさんは、自信がなく、周りに合わせて思いをのみ込み、疲れてしまう。親に失敗をよく責められたBさんは、心配性で、自分のやり方通りに進まないとイライラする。甘えず頑張ってきたCさんは、何でも無理して一人で背負い込み、他人を頼れない。 ありのままの自分を親に受け入れてもらえないと心が傷つき、それ以上、傷つかないような生き方を絆創膏(ばんそうこう)のように身につける。それによって、ありのままの自分が出せず苦しくもなるが、傷が癒やされない限り、怖くて「絆創膏」は剥がせない。 セミナーでは、その生き方を身につけた頃の出来事を思い出し、心の奥にいる当時の自分(インナー・チャイルド)に会いに行くイメージを膨らませる。その思いを受けとめて癒やし、望みを叶(かな)えてあげると、その子が笑顔になり、ありのままの自分が蘇(よみがえ)る。すると、いままでの生き方を楽に手放して、自分らしい自然な生き方を選び直すことができるのだ。 受講者の声を紹介しよう。 「インナー・チャイルドの気持ちに触れ、ボロボロ泣いて自分を受け入れ、生きることが本当に楽になった。足の裏全体が地面についている感じがします」(30代、女性) 社会の常識や枠を取っ払った所で自由に感じ、人とつながって楽しんでいます」(40代、女性) みんな山ほど涙を流してスッキリし、元気な本来の姿に戻った自分に驚く。自然な自分を取り戻すと周りとの関係や問題もおのずと変わっていく。幸せへの答えはほかのどこでもない、自分自身の中にあるのだ。 第十回より 神奈川県の40代のY子さんは4年前、当時10歳の娘さんとの関係に悩んでいた。「いつも笑顔で周りに尽くす理想の母親でいよう」と頑張り、娘にもあれこれ指示した。だが、娘さんは自分の頭を叩(たた)くといった問題行動を繰り返していた。 私の自己成長セミナーを受けたY子さんは、無理して頑張るのをやめた。疲れたときは正直に伝え、家族を頼った。すると、娘さんもイヤなときは思いや理由を打ち明けてくれて、協力し合えるようになった。 無理した生き方を親が押しつけると、子どもも気持ちをのみ込み、自分を犠牲にする共依存関係になりがちだ。すると他の人とも対等な人間関係を築くのが難しくなる。 例えば、子どもが友だちとケンカして「あんなヤツ、消えればいい」と言えば、親は「ひどいことを言わず仲良くしなさい」と諭しがちだろう。子どもは「自分はひどいのか」と自己嫌悪に陥り、「じゃあ、イヤな目にあってもがまんしよう」とうわべは仲良くしつつ、抑え込んだ思いは澱(おり)のように溜(た)まっていく。 親が思いを押しつけず、「そんなに腹が立ったの。何があったの?」と子どもの気持ちを丁寧に掘り下げて聴いていけば、たいてい「本当は仲良くしたい」という本心に辿(たど)りつき、「どうしたらそうなるかな」と共に対策を考えられる。答えは子ども自身の中にある。それに本人が気づくよう気持ちを整理する手伝いが必要だ。親がどんな気持ちでも受けとめれば、子どもは安心し、ありのままの思いを出せて、自分の心に向き合う勇気と自信が芽生える。 自分の正直な思いを受けとめたY子さんは、娘の思いも受けとめるようになった。いま中学生の娘さんは、友人と揉(も)めても自分の思いを率直に伝え、相手の思いも聴く。友人からは「誰とでも平等に関わり嘘(うそ)を言わない」と信頼され、教師にも言うべきことは伝えるので頼りにされ、相談されることもあるという。親子で正直に思いを伝え合うことで、誰とでも誠実に向き合う基盤ができたのだ。対等で伸び伸びした人間関係は、対等な親子関係から生まれるのだろう。 最終回(11回) ハートの声に導かれ囲相手の視点で豊かな世界 2009年、関東学院大学(横浜市)に映像クリエーションコースが新設され、学科長である友人からの依頼で非常勤講師として教え始めた。担当は創造性活性、コミュニケーション、人間関係、映像制作、企画とシナリオに関する5科目だ。私が力を入れたのは、作品作りや生き方の中で多様な個性を活かし合うこと、それを体験型の実習で学ぶことだ、頭で学ぶより体験を通した気付きこそが生き方に染み込むからだ。 コミュニケーションの科目では、初回に各自が抱える日常での問題を書いてもらう。最近は興味が違う相手とは話が続かない学生も多い。例えば授業では、相手の魅力を引き出す聴き方も実習する。人は何が起きたかを話しがちだが、本当はそこで感じた思いを伝えたいのだ。 「その時どう感じたの?」「どう面白かった?」などと気持ちを尋ねれば、自分の感動のエキスを喜んで話してくれて、相手の感動を生き生きと共に昧わえる。 そんな聴き方実習をしてから、自分なりの目標を立てて日常で実践する。その結果を報告し、私の個別アドバイスを参考に更に実践を深め、これを毎週繰り返す。すると、会話が苦手だった学生が「相手の思いを受けとめられるようになって会話が弾み、人との関わりが楽しくなった」などと着実に変わっていく。 人間関係の科目でも、各自の問題を扱う。人はおのおの優先することが違い、それが摩擦も生む。ある学生はバイト先の飲食店で、気分屋で怠けがちな先輩が苦手だった。理屈で説得するより、気さくに話しかけて親しくなり、こなしやすい仕事を頼んで褒め、ともに楽しんだ。その先輩は海外育ちで英語が堪能だったから、外国人の接客をお願いした。さらに、「店のサイトの英語版を作ろう」と共同で企画を立てて上司に提案したら採用された 苦手な人は自分の潜在能力に気づかせてくれる。相手の視点に立ち、思いを尊重すれば、互いに力を発揮でき、新たな何かを共に生み出せる。違うからぶつかるのではなく、違いを創造的に活かし合う豊かな世界になること、それが私の夢だ。(心理カウンセラー)=おわり
by nandemokoukisin
| 2018-12-17 20:41
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