不死身の特攻兵 鴻上尚史著 途中です |
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2018年 05月 11日
思うのは、特攻隊の一連の動きは、 自分の都合の良いことを考え、 それを批判され、正当性を疑われても、変えることもせず、屁理屈をこね、 嘘が、うそを呼び・・・ 犠牲になるのは、若い者、権力のないもの 都合の悪い事実は、覆い隠そうとし 証拠となるものは、消す 全く、今の”もりかけ問題”と一緒だなと感じます、批判するのは、簡単だけど、 人間は、進歩はしないものだな〜弱いものだな〜と思いました。 だから、こそ、そんな弱い人間を守り、後生に後ろ指をさされないようにするためにも、法や、きちんとしたシステムが必要なんだろうと痛感しました。 9回も出撃しようとして、成果を上げかつ戻ってきた。途中で引き返したことも、出撃前にエンジンをかけ、出発しようとした時に襲撃にあったり、 最後の最後は、飛び立とうにも、飛行機がなかったり、 しかし、理不尽な、特攻作戦がどうして、立てられたのか、そして、なにゆえ存続してしまったのかを筆者が考えるうちに、思い浮かんだ一つが、今のこの時代にも、理不尽さがそのまま残っているのではないかと。そして、驚くことに、その例としてあげたのが、高校野球です。高校野球が夏のクソ暑い時にやられているのか?高校野球についても批判されている、なるほど、されている時は、無自覚なものなんだ。たしかに、高校生たちを、理不尽な残酷な環境に追いやっているのは、間違いがない。 それを、筆者は、現代の「所与生」の形と見るのです。
<抜書> ・技術を磨くことが、自分を支え、国のために尽くすことだと信じてきた。だが、「体当たり攻撃」は、その全ての努力と技術の否定だった。なおかつ、与えられた飛行機は、爆弾が機体に縛りつけられていた。 ・〔他の人のように)緊張しないのは、将来の負けん気と操縦の自信と父親の「人間は、容易なことで死ぬもんじゃないぞ」という言葉のせいだと思っていたが、ただ単純に空を飛ぶことが好きだからかもしれないと佐々木は思った。 ・将校だった人が、真実を語ろうとしていない。日本軍の不名誉なことを隠そうとしている。戦後、20年以上たっても変わっていない。佐々木が虚しい怒りを感じながら、当別に帰った。 ・「いや、楽しむぐらいの技量持つことが大事なんです」 ・何度も何度も、佐々木友次さんの強さの秘密を聞きました。けれど、「寿命」という言葉は強く響きました。そう考えるしかない、というのは分かる気がしました。人間は、自分の想像を超えたことに直面すると、運命とか偶然とか寿命とかを考えるようになる。けれど、その運命や偶然や寿命を呼び込んだのは、友次ぐさんの「空を飛ぶことが大好き」という強烈な想いと行動なんじゃないかと思いました。 ・戦後、東久邇宮首相は、「この際私は軍官民、国民全体が徹底的に反省し懺悔しなければならないと思う。全国民総懺悔することがわが国再建の第一歩であり、国内団結の第一歩と信じる」というような発言をしました。「命令した側」と「命令を受けた側」をごちゃ混ぜにした、あきれるほどの暴論です。どんな集団にも、リーダー と部下がいて、 責任を取るのは、「 その指示を出したリーダー」 です。 その指示に従った部下まで責任をとむ取るなら、「 責任」というものは実質的には無意味になります。 ・特攻隊員の死は、「犬死」や「英霊」「軍神」とは関係のない、厳粛な死です。日本人が忘れてはいけない民族が記憶すべき死なのです ・整備士たちは、「こんな子供をこんなボロ飛行機で」と泣くのです。どう考えても、どんなに精神力があろうと、どんなに祖国を愛していようが、戦果を期待できないから泣くのです。戦争はリアリズムであり、整備員はアメリカ戦闘機の能力と練習着の能力の違いを冷徹に知っているから泣くのです。 ・予備学生出身の杉山幸照元少尉は、「特攻隊員のほとんどすべては、予備学生と、予科練生である」 ・「戦争反対派は部数がどんどん落ちる」その一方で、「賛成派の新聞が伸び始め」たのです。「この数字が示しているのは、戦争がいかに新聞の部数を伸ばすかということです。ようするに、戦争がいかに儲かるかなんです」一方、最後まで日露戦争に反対していた「平民新聞」は発禁が続いて、最後には廃刊になりました。日露戦争以降、新聞社は戦争が商売になることを知って、軍部に協力していきます。それが、佐々木友次さんの特攻を描いた勇壮な作文になるのです。 ・8月10日早朝、午前会議でポツダム宣言の受諾が決定された。軍団は最後まで降伏に反対した。神風特別攻撃隊を始めたことで「特攻の産みの親」と言われた大西瀧治郎中将は「今後2,000万の日本人を殺す覚悟で、これを特攻として用うればれ、決して負けまけぬ」と最後まで主張した。 ・体当たりを成功させるには、ある水準の技量が絶対に必要なのです。けれど、富永司令官のように空戦の経験がない参謀は、「 体当たりは、 爆弾を落とすより簡単だろう」 という憶測で命令を出し続けたのです。 ・いかに戦争であっても、生還の見込みがゼロの作戦を、組織として採用すべきではない。どんなに不利な戦いでも、どんなに負け戦でも、指導者として踏みとどまる限界があるのではないか。それが人類の英知です・・・・ ・満州事変のとき、ほとんどの新聞が「援軍」「擁軍」になったとき、「大阪朝日新聞」だけが、「この戦争はおかしいのではないか。謀略的な匂い、侵略的な匂いがする」と書きました。ですが、在郷軍人会を中心とする不買運動にやられて部数が急落、最終的には負けて編集方針を変えました。不買運動に反対し、満州事変に反対する「大阪朝日新聞」を買い支える大衆は存在しなかったのです。 ・特攻が続いたのは、硬直した軍部の指導体制や過剰な精神主義、無責任な軍部・政治家たちの存在が原因と思われますが、・・・・・戦術としては、アメリカに対して有効で無くなっていても、日本国民と日本軍人に対しては有効だったから、続けられたということです。 ・おそらく、「精神で打ち落とす」と東條首相が答えたとき、周りにいた多くの生徒も飛行学校関係者もハッとして感動したはずです。そうだ、気持ちだ、気概だ、気迫だ、それが一番大切なことなのだと。けれど、「精神」を語るのは、リーダーとして一番安易な道です。 ・けれど、「精神」で打ち落とすと最高責任者が言ってしまったら、撃ち落とせないとき、その理由は、高射砲の性能の限界でも、アメリカ機の高性能でもなく、「精神」になってしまいます。ここから、「命令する側」が特攻までたどり着くのは、実は早いと思います。「精神」さえあれば、レーザー網を突破し、何百というアメリカ機をかいくぐり、正規空母を撃沈できるのだ、という論法が出てくるのです。 ・職場の上司も、学校の先生も、スポーツのコーチも、演劇の演出かも、駄目な人ほど、「心構え」しか語りません。・・・それしか語れないということは、リーダーとしての中身がないのです。 ・本当に優れたリーダーは、リアリズムを語ります。現状分析、今必要な技術、敵の状態、対応策などです。今何をすべきか、何が必要なのかを、具体的に語れるのです。 ・リアリズムを語らず、精神を語ることが日本人は好きなんでしょうか。現実を見ず、観念に生きる民族なのでしょうか。 ・現代の「所与生」の形 ぼくは毎年、夏になると、「いったいいつまで、真夏の炎天下で甲子園の高校野球は続くんだろう」と思います。10代後半の若者に、真夏の炎天下、組織として強制的に運動を命令しているのは、世界中で見ても、日本の高校野球だけだと思います。 こう書くと、「純真な高校野球の努力をばかにするのか」とか「大切な甲子園大会を冒涜するのか」と叫ぶ人がいます。 僕は「命令された側」の高校球児を尊敬し、感動します。問題にしたいのは「命令した側」です。ですが、怒るひとは、「命令した側」と「命令された側」を混同するのです。「命令する側」の批判を、「命令された側」の攻撃だと思うのです。その構図は、「特攻隊」のときと全く同じです。 ・けれど、いつものように、炎天下の試合が続きます。甲子園大会は所与ものだからです。昼の12時から3時までは試合を休止しようかとか、ナイターをスケジュールに入れようとか、そもそも真夏をはずして秋にしようか、そういう提案を主催者側がしているという話を僕は聞いたことがありません。大人たちは、だれも言い出さぬないまま、若者たちに命令するのです。それもまた、とても、特攻隊の構図と似ていると感じます。 ・そして、高校野球だけが問題なのではなく、みんな何となく問題だと思っているのに、誰も言い出さないから「ただ続けることが目的」となっていることが、この国ではとても多いのじゃないかと僕は思っているのです。 ・美濃部少佐のように、論理的に分析して、なにが必要かを堂々と言えるようになりたいとおもいます。少なくとも、「夏を乗り切るのは根性だ!」とか「死ぬ気でやれ!」とか、精神論だけを語る人間にはなりたくないと思うのです。 ・一般論を語れば、どんな社会的な運動も「当事者」より「傍観者」のほうが饒舌になります。思い入れを熱く語るのは、当事者になれなかった傍観者、または当事者になりたかった傍観者です。けれど、真実は当事者の言葉の中にあるのです。重い口を開いて語る当事者の思いが、歴史の闇に光を当てるのです。 ・8月10日早朝、午前会議でポツダム宣言の受諾が決定された。軍部は最後まで降伏に反対した。神風特別攻撃隊を始めたことで「特攻の産みの親」と言われた大西瀧治郎中将は、「今後2,000万の日本人を殺す覚悟で、これを特攻として用うればれ、決して負けまけぬ」と最後まで主張した。」
by nandemokoukisin
| 2018-05-11 11:34
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