玄冬小説 おらおらひどりでいくみ 若竹千佐子<著> |
by nandemokoukisin 検索
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2018年 03月 14日
なんか、不思議な小説だな・・・土の器にも、似ていますが、こちらの方は、他の人がほとんど出てきませんね、直接会話するシーンは孫ぐらい・・・電話の会話はあるけど。
斎藤美奈子さんが、玄冬小説について語っています。 ・さっきから腹にイガイガした感触がある。見ると粘りついた草の実が何粒も上着にくっついていた。引っぺがすと思って実にさわったが中途でやめた。草の実もイガイガも身に添うものはみな自分、そうでなければ淋しい気がしたのだった。そして吉本隆明氏の言葉も気になります、 <抜書>しかし体だけではなく精神の問題とあわせて考えると、やはり「衰え」と考えるより「超人間」と捉えたほうがいいのではないか。というのも、年をとると身体の運動性は落ちますが、精神的な活動、例えば想像力や空想力や思い込みといったものは深まるからです。長年の間なれ親しんできたそうした精神活動は、今年をとるにつれ幅が狭まるけどけれども確実に深化しています。 ・もう今までの自分では信用できない。おらも思ってもみながった世界がある。そごさ、行ってみって。おら、いぐも。おらおらで、ひとりいぐも。 ・今はもう、話し相手が生きている人に限らない。樹でも草でも流れる雲でさえ声が聴こえる。それが桃子さんの孤独を支える。桃子さんが抱えた秘密、幸せな狂気。桃子さんはしみじみと思うのだ。悲しみは感動である。感動の最たるものである。悲しみがこさえる喜びというもいうのがある。 ・亭主の病に気づけなかった責め、自分だけまだのうのうと生きている負い目、心のどこかでずっと持ち続けて生きてきた。それも一年一年と時の経つごとに薄れていく。仕方がないこと人間の力で如何ともしがたいことがある。そういうことが骨身に滲みて分かってきた月日と重なる。悔いも責めももういいのだ、許されていい。悔いがあるとしたら。その時だった。あと一段だけ、それで油断したのかもしれない。足が滑って右足のくるぶしをしたたかに石の角にぶつけてしまった。激痛が走る。 ・あふれる光で障子の桟の影が畳に長く伸びて、おらの方まで広がっている。光の洪水の中で突如として、自由だ、自由だ。なんでも思い通りにやればいいんだ。内側から押されるようなと高揚した気分になった。状況が変わったわけでもねし、変わりようもねのに、真っ暗な絶望的な気持ちがぱっと明るく開けた。信じられねがった。 ・それでも周造の死に一点の喜びがあった。おらは独りで生きてみたがったのす。思い通りに我れの力で生きてみたがった。それがおらだ。おらどいう人間だった。なんと業の深いおらだったか。それでもおらは自分を責めね。責めてはなんね。・・・周造はおら独りを生がせるために死んだ。はがらいなんだ。・・・それが周造の死を受け入れるためにおらが見つけた、意味だのす。 ・あのどきにおらは分かってしまったのす。死はあっちゃにあるのではなぐ、おらどのすぐそばに息をひそめてつ待っているのだずごとが。それでもまったくといっていいほど恐れは ねのす。何如(なじょ)って。何如って亭主のいるどころだおん。何如って。待っているからだおん。おらは今むしろ死を魅せられているのだす。どんな痛みも苦しみもそこでいったん回収される。死は怖れでなく解放なんだなす。これほどの安心ほかにあったべか。 ・老いその先にあるものは、いかなる桃子さんであっても全く未知の領分、そして知らないごどが分がるのが一番面白いおもしぇごどなのであり、これを十分に探求しつつ味わい尽くすのが、この先もっとも興味津々なことなのだ。 ・八角寄せる想いはゆるぎない。・・・・それにおらが、おめに心を寄せるのは帰る処だという気安さだけでない。 まぶる。 おらはただそこにある。何もしない、ただまぶるだけ。見守るだけ。 それがうれしい。それでおめを信頼する。 おらの生ぎるはおらの裁量に任されているのだな。 おらはおらの人生を引き受げる。 そして大元でおめに委ねる。言葉の端々に、生きる哲学、啓蒙書のようなものも感じます。いなか言葉につい、ごまかされますが、単なるばあちゃんでない見識も感じます。 面白くない人には、面白くないかもしれないけど、冒頭の土の器と同様に、新しい小説の形かな〜と感じました。 発想が飛び、荒唐無稽になっても、考えていること、感じていることなので、広がって拡がって、 また、過去に戻ったり、未来に飛んだり、自由自在ですね!! 年を取ること、呆けに近い妄想もまた、楽しいことなのではないかと、思えるようになるました。
by nandemokoukisin
| 2018-03-14 13:38
| 読書ヒストリー
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