遠いまなざし 押田成人著 |
辻さんと高橋さんの対話本に、わずかですが、記載がありました。
・いわゆる若い人たちが、愛というものをいう場合に、やっぱり中心にあるのは感情ですね。情緒の世界ですね。だから見ていてもわかるように、非常にドライな別れ、離れ、くっついたり、離れたりするような現象が、同時に起こっているので、人間というのは感情とか情緒とか、あるいはセックスというものが中心になっているときには、本当のまごころというものの響きはでないんですね。
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2017年 07月 28日
もう、忘れてしまいましたが、どなたかの本で、自給自足をしながら、修道院をやられている神父さんと紹介されてました。→それは、後付であった(恥)
辻さんと高橋さんの対話本に、わずかですが、記載がありました。 内容はとても、難しいです、分かりやすい?ところだけ、ピックアップしてみます。 押田成人という哲学者によると、人間から石ころまで、存在の本質は「ひらき」だという。そしてぼくが一番感動したのは、「ひらきは無償であります」という言葉なんです。→この「ひらき」にしたって分からないのに、なんで、この本を読む気になったのだろうか? その時の勢いで、注文してしまいましたが、読むこともなく、譲ってしまおうと、つい読み始めたら、やめられなくて、最後まで・・・・・ なかなか、現代文明に鋭い批判と、仏教を理解しながらのクリスチャンという組み合わせが独特な感じです。何回も読まないと、理解できませんね!! <抜書> ・早い話が、福祉施設なんていうのはそうですね。目に見えるところに従って分類したでしょう。その人と、人間と対話すると言う福祉の根本的なものを忘れられているんです。・・・・・目の不自由な人は、目の不自由な人だけ、孤児は孤児だけ、老人は老人だけ集まれ。その見えた現象によって全てを支配し、それに対応しようとする文明ですね。もっとも浮薄なる文明なんです。 ・教育と言うのは、そうじゃなくて、本人のかけがえのない存在をどのように開花させていくかと言う、そういう目を持たなくてはいけない。そして本人がどういう存在を持っているのか、どういう業の負い方をしているのか、どういう能力を持っているのか、そういうような、その人全体を見る目、私は"遠い目"といいますが、遠いところを見ている目、全体を感じるそういうものがなければ教育なんていうことはできっこないわけなんです。 ・「遠い山を見て、そのまなざしの中に相手をおさめろ」・・・・全体を見る目というのは遠い目なんですね。こういうまなざしに成らすことが、結局は、人間が人間らしく生きることの基本なわけです。 ・先生は答えを出さない。ただ質問して、要点を与えて、なお考えさせて、ということをやっている。・・・こういう中で、つまり人間が成長するわけで、洞察ということだって、人間関係の、かかわりの中で成長している。 ・(たとえばアル中の方)その人の責任じゃないんです。赤ん坊でお腹にいるときの環境、生まれたときの環境、生まれてからの環境というもの、それが根底を作っているんですね。それが響いてくるわけです。その響いてきたのを、こっちがわかり始めたら、むこうはしゃべる言葉じゃなくて、私の言うコトことばでわかるんですって。それで変わってくるんです。・・・・かかわりの中でしか洞察はないというのはそれですね。結局最後は、これがコトことばなんです。 ・つまり虚構な穴が埋められちゃったんですよ。人間はそれなんです。かかわりあうということはそういうことなんです。だからあきらめちゃいけないんですよ。 だから離婚なんて言うのはズルイと思う。そういうとき時こそかかわり方を覚えなくちゃいけない。それが手なんです。そのかかわりの根源の手が人になった、これがキリストなんです。 ・いわゆる若い人たちが、愛というものをいう場合に、やっぱり中心にあるのは感情ですね。情緒の世界ですね。だから見ていてもわかるように、非常にドライな別れ、離れ、くっついたり、離れたりするような現象が、同時に起こっているので、人間というのは感情とか情緒とか、あるいはセックスというものが中心になっているときには、本当のまごころというものの響きはでないんですね。 ・本当の愛というものは人間全体を受け取って、存在を受け取って、その人のかけがえのない姿をお互いに大切にし合う、そのために私は自分の生をかけようと、そういう御大切というところに愛が出てくるんで、そういう姿がでてくるときには、やはり他人はどうでもいいからという発言にはならないと思うんです。 ・それは一種の言葉であって、表面層の言葉なんです。そういう言葉の奥に、日本語でいうこと、「言」というか、「事」というか、コトことばというのがあるんですね。コトことばがなければ、この理念的なことばは意味がないんです。・・・・だから話している言葉だけじゃないんです。その人の後ろ姿も言葉なんです。 ・こういうのを私は悪い意味で、鶏の三本目の足というのですが、本当に、観念としての観念ですね。 ・だから今の科学はこの理念ことば・論理と言うものを基礎としてやっていく限り、決して本質的な変化はありませんし、進歩はありません。害がますます増えるだけのことです。もし本質的な変化があれば、ジェット機は公害もおこさず、音もたてず、静かにスッと飛んでいくわけです。だって空の鳥は、公害をおこさず、音をたてずとんでいくんだから。 ・手というのは、このハンドじゃない。かかわる人格をというのです。手に手にというのは、それぞれ、人それぞれに受け取ってくださいと言うこと、それぞれに生きてくださいということなんですね。これが民主主義なんですよ。てんでにやれというのは、勝手にやれというんじゃないんですよ。手に手にやれと言うことで、イーチワンとは違うんですね。 ・もう一つは、理念言葉に移行するのは、過去・現在・未来なんです。全部ヨーロッパ言葉は過去・現在・未来です。ヘブライ語では過去・現在・未来でありません。存在しているか、それだけです。日本語もそうですよ。 ・冗談じゃない。我々には、今しかー完了が未完了しかないんです。・・・・・大事なのは存在関係だけなんです。過去・現在・未来なんて、そんな幻想はないの、存在するかしないかです。 ・「あんたたち、規則っていうのはいいもんだ。規則を守れば、守られる。だけど、それだけだよ。守らない人間を決して非難してはいけませんよ」それが最初の教訓だった。要するに、規則はどういうものかをみているわけね。 ・教会でいう法律っていうのはどういうものかというとね、一人の人間が全く自我がなくなって、神様と全く一つに生きている。その人が生きているんじゃなくて、神様が生きているっていうふうに、そういう姿になったときに、その人の存在の中に現れる恵の実りの姿が、神の法律なんです。 ・いろんなことに教会の定めがある。その基礎にキリスト様の教えがあるかと言うと、イヤー、そこに住んでいる人の性質の理由があるわけです。・・・・ヨーロッパ人と言うのは何か自分の目的を意識し、そして行動しなければ生きた気がしない国民なんです。説明を求めるんです。説明を聞かないと満足しない。だからその説明に答えるために神学があるんですよ。 ・一番私が気になっていた問題が清貧というか、貧しさの問題、清貧的貧しさの問題だったのです。その清貧的貧しさというのは、具体的な貧しさとは一応違うんですが、具体的な貧しさがなくなると精神的貧しさもなくなるのだ、切り離せないんだと最初から感じていました。 ・危機の状態の中で、何もない中で、自分たちでかかわり合う。そこに若い者の喜びがあるわけね。だからその要求に応えることが我々の務めなんです。そしてまた、新しい土地で若者に、 「今度はお前たち、やってみろ」 「何も持つな」 「無から始めろ」 「人が捨てたので生きていけ」とやって、そういうところで彼らは新しい世界を発見していく。そこにしか、現代の若者の生き甲斐を見いだす場所はないと思います。 ・それはかんたとえばどういうことかというと、ものを持つななっていうことです。団体としても持つな。十人いたら一人が病気になって一ヵ月病院に入る位の金は、今の日本の社会では必要だろうけれど、それ以外は何も持つなという。ものは持たない。それから、この人は来ていい、この人はしてはいけないと言う選択はするなと言う、一人一人の神秘をそのまま受け取れ、こういったことです。それからウソをつくのを原理としている人、これも悪の世界ですが、これは一緒の共同生活はできません。 ・第三は、一切計画はたてるな、その時その時の必要に応える。まごころをもってーーー人間だから論理性というのが大事で、今日明日のことは計画するだろう。長期計画、1年計画、とんでもない。教育で1年計画を立てられたら、そんなのは教育じゃない証拠なんです。・・・・こういう幻想をなくさない限り、日本の悲劇はなくなりませんよ。第四に、規則を作らない。ことに何々してはいけないという規則は絶対に作らない。それはその人一人の人格の責任感に対する冒涜である。・・・ただ一人一人のかけがえのない道を心から尊敬しよう、この規則だけで充分です。 ・「あなたが霊的世界に近づけば、本来の伝承が出てくるはずなんだ。私もそうなんだ。キリスト教で浄化されていくとね、仏教が出てきちゃうんだよ。だから、私は瞑想をしようとするときに、やっぱり座禅が自然に出る」 ・だから論理でもっていろいろ仏教を捉えようとするから、虚無主義だっていうことになる。冗談じゃないよ。空というのは満たされているんだよっていうんだけど。空だからこそ満たされているんだって。136 ・だから、たとえば私の場合、悪魔を外に感じません。いつも自分の中に感じます。なんというか、存在の中にあるーハッと気がついてみると、自分が不透明になっている状態、これはどこから来るか、自分の意志からも来ないし、やっぱり自分の存在の根の中に悪魔の根拠地の延長みたいなものがあるんですよね。 ・キリスト教の信仰はあくまでコト言葉の神自身の禅問答の世界なんです。キリスト教というのは、「私の体を食べろ」「私の血だ、飲め」・・・・要するに過ぎ越しの神秘であり、そこに全ての人類、すべての人とのかかわりがあるわけです。「あなたも人の足を洗え」「私のように十字架にかかれ」「私の体を食べろ」「それで十字架にかかれば復活、過ぎ越しがありますよ。それを信じなさい」と。 それを頭で食べるんじゃなくて、信じるんじゃなくて、「これを食べろ」と、これはあくまでも神との相撲なんですね。キリスト教と言うのは、コトことばの禅問答による相撲なんです。 ・つまり(呼吸)、インドからもらってきた、とってきたものだけど、それを非常に純粋な形にしたのが日本なんです。そういう使命を日本は持っているわけ。つまりすべてのものを純化するということ。これが世界の人類に対する日本の役割なんですよ。 ・だからなんというか、使うものは使っていい。だけども、便利さはある程度までで終わらせないと、修行の精神は遠のくと言うことがある。 ・これを飲むと健康になりますよ、これを飲むと長生きしますよと、こういうウソを言ってもの売るなんてことは罪ですよね。そういうのは欲望の罪ですね。さっきのは傲慢の罪ですね。 ・幸せっていうのはね、ある人の存在の前で、その人の神秘の前に自分を置いて、その人自身も味わいきれぬその神秘に耳を傾けていることである。すでに一つになっている。これを仕えて合わさる、仕合わせっていうんだ。 ・だから私を予言的に助けてくださったのは仏教徒なんです。こういう世界では、キリスト教も仏教もないんですね。信仰はちがいます。しかし預かっているありがたいをいのちというものは、別じゃないんですね。そういう時に、お互いに意識に反射が来るわけです。これを何と言いますか・・・・・・ えへ・あのね、人間は生きてきたように死んでいきますね。だからこの世的に生きた人は、死んだときに何か回心して奇跡が起こるかというと、起こりませんね。僕はそれを期待していたんだけど起こらないね。生きてきたように死んでいきますね。 ・そして自分の仕事が神の息吹によるものではなかった、むしろ自分の情熱によるものであったということを見たわけです。それ以来というもの私は修行とはポケットに手を突っ込んで口笛を吹きながら自我の匂いから逃げていくことだということを思うようになったんです。で、それだけをしてきたんです。 ・目をつむっていると、全体の景色が一つの眺めで出てくるんですね。これは要するに霊的生活といいますか、精神生活で求められている眺め方と、非常に似ているんですね。そのことの暗示としてそういうことを言うんであって、目をつむればいいんじゃないんです。 ・第一、座禅と言うのは、部屋でやるもんじゃないんです。これは小さく制度化した仏教の中の伝承ですから、そんなものを真似る必要はないんです。面壁十年て言うけどね。あれは、いろんなことを考えられるけど、昔ニ、三人で歩いていて、座禅しようという時には、狭い部屋で座ると、お互いに向かい合って座ったら顔が見えちゃう。それじゃあ壁を見て座ろう、こういう必要があったのかもしれない。 ・そしてすべて美しくていうのが、一つの標語ですね。何やるんでも、犠牲するんでも、苦しむんでも、すべて美しく、一切野心の臭いがあってはいけない。すべて美しく。野心の臭いのないのは美しいですよ。そこに霊道のカギみたいなものがあるんです。 ・断食しようと思って断食しているうちは断食の効果はないんです。それは意識の世界ですから。断食していて断食を忘れていなければダメです。行動しながら祈りながら、というのは非常に集中しやすいですね。座禅よりしやすいですね。あれは一つの知恵ですよ。そして気づいてみると、ハーッと存在が透明になっていることが後でわかるんです。それは意識の世界でわかるんですけれども。・・・・景色が実に透明で美しく、綺麗なー全て現れている。色が全然違う。木の側に寄って触ってみるとぬれていないんです。やっぱり透明になるんですね。私は断食してお題目を唱える行に参加したことがありますが、二日目くらいにそういう状態になりましたね。 ・とにかく断食と言うのは体の行に対するいいことだ。体と霊魂は区別できないのですが、人間は体を持って生きているから、やっぱり断食と言うのは存在を透明にするために、ありがたい一つのおのずからの道になったということなんでしょうが、これは理屈ではないのです。動機が良ければ存在は透明になるんです。発心の問題です。 ・そういう世界に生きていると、おぞましいものの本体が見えるわけです。煩わされないで本体が見える。神にほどこされている、ありがたい世界に生きるようになると、全部が変わるんです。そのこうろぎの空間というか、洞穴にいるような感覚というのは、感覚が清められた状態ですよね。全部存在が変わるわけです、あり方が・・・・。 ・ある霊的指導者が、傲慢だった時は逃げなさい、危ないよって。非常に謙遜な時、単純な時、これはいい印だと。これはどの伝承にもいえることです。だから私は老師だという匂いのする老師は、これは逃げた方がいいというんです。そういう印があり、そういうことについての知恵みたいな伝承はどの宗教も持っておりますがね。 ・私の知っているスイスの工場長なんですけど、人間が本当に人間らしさを失わないで、やれる仕事のあり方、工場の規模のあり方っていう点から考えて、200人以上はーものすごい売れっ子の会社なんですが、200人以上は増やしませんね。やっぱり守るとこ守っているんですね。こういう人はなんていうか、夢を追ってきた人と違う落ち着きといいますか、ちゃんとした人生観を持っていますね。やっぱり人間というのは基本としてそういうものを持っていないといけないんじゃないでしょうかね。 ・経済というのは要するに本物を、本当の必要に対してできるだけ少ないつぐないで与えるというのが原点なんでしょうからね。こういう基本的な人間の人の道がなくして経済と言うものはないんだという眺めがある人が中心にいなければ、こういう大きな経済という仕事なんかできないと思いますね。 ・私もやはり修行の最初の頃は悪い夢なんかみたりしましたが、そういうのはだんだん遠のいていくと、医者はそれは自然的に何か排泄されているんだろうというような説明をしますが、何か体も変わってくるようですね。 ・座禅と言うのは非常に活力を活発にしますから、断食なんか交えないで座禅していると、必ずそういう欲望が出てくると思いますよ。だからね、禅修行ー抽象的な言葉、ニワトリの三本めの足でいやですけど、仮に使えば、禅の修行をしている場合は、やっぱり食べ方生き方全体が行に、生活が行になっていなければ、必ず害悪が出ると言うことです。肉を食べて、ビフテキを食べて座禅していれば、やっぱり精神病になります。分裂します。そこが難しいところですね。 ・まごころを持って信心の世界を生きていく時に、いろんな矛盾、困難に会う。にもかかわらず、それを歩いていく時に、もう自分が生きているのではない、生かされている、誰かが生きている、こういうような存在感覚になってくるんです。そうなってくると、自分では自覚しなくても、実際は何か向こうから来る彼岸の光に照らされているんですね、大抵の場合。 ・どの道でも、まごころを持って生きているときには、祈らざるを得なくなるし、自分が生きているんではないんだ、誰かに生かされているんだというところに行くんですよね。これが人間の、人の道なんです。 ・自分の井戸を掘り下げてください。僕の未来についての希望は、空しくて今の体制の中に入りきらん若い者に生き甲斐を与えてやることだと思います。本人たちが本当に望む生き方で生き甲斐を与えてやる。 ・「あなたの信仰を深めてください」 それ以外ないんですよ。自分の井戸を掘っただけ、相手が見えるんです。遠いまなざしになるわけです。だからキリストの言葉を使うと、「何で自分の目に梁があるのに、他の人の目のワラをのけたいと言うのか。自分の目の梁をまずのぞけ、そうすれば全てが見えて、ワラも自然になくなる」
by nandemokoukisin
| 2017-07-28 23:24
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