今日よりよい明日はない 玉村豊男さん |
だいぶん前の本ですが、参考になりました。
・だから、私はいつも行き当たりばったりなんですよ。夢に向かって邁進したのではなくて、ある状況が目の前に現れてから、次の計画を思いつく。それも、自分から何をやろうとする事は少ないですね。たいがい妻の言うなりで…
・次の夢はなんですかと、一生のうちにいくつも実現するはずのない夢が、あたかも次々に現れるかのように、性急に問いかける癖がついたのではないでしょうか。そのくせが、いまだに抜けていないのです。
・目標に向かう道のりは、途中の景色が楽しいのです。その景色が楽しめれば、実現できるかできないかは大した事ではありません。どうしてもどうでもいい、とは言いませんが、おまけのようなもの……と考えておけば気が楽です。
・ある計画がダメになるのはどこかに必然的な理由があるからで、壁にぶつかるたびに一つ一つ隠れていた無理や無駄や矛盾が荒い出され、よりスマートな回答が見えてきます。つまり、計画は1つ潰れるたびに実現に近づくのです。
・ 十分に人生の経験がある大人は、自分がやるべきことも、自分にできることもよくわかっています。だから、夢を持たなくても充実した毎日を楽しむことができるのです。そもそも、私はもう還暦を3年以上過ぎた年齢ですよ。そんな、もう若くもない人間に、夢を聞くこと自体が間違ってる!
・今日よりよい明日を求めるから、人は思い煩うのです。よりよい明日を、より豊かな暮らしを、という、際限のない欲望が人を苦しめます。その桎梏から解放された人びとは、どんなに幸せなことでしょうか。
・今日よりよい明日はない。この言葉を借りて私がいいたいのは、決して未来を悲観せということではありません。そうではなくて、いま目の前にある現実を楽しもう、ということなのです。・・・サウダージ。追い求めても得られない憧れのようなものを、未来に、ではなく、取り戻せない過去に求めるとは、なんとお洒落なセンスでしょうか。
・食べものに限らず、江戸期にはさまざまな生活文化が咲き誇りますが、それらはどれも長い平和の中で日常の生活にエネルギーを集中することができたからこそ生まれたものばかりです。
・あまり、大きなことを考えず、ただささやかな日常を楽しく暮らすことだけに専念し、どうでもいいようなことがうまく工夫できるとぞくぞくするほどうれしい、そんな平和な日本の感覚が少しは理解されてきたのかと思うと、ちょっと誇らしい気分になります。
・そうか、個人を大切にしない国は滅びるんだと、シンプルに思ったのです。・・・いくら国が豊かだからといって、ふつうの人たちが生活の文化を育まないで、どうして暮らせるのだろうか。日本のサラリーマンみたいに、辞令一枚で転勤させられるなんて、どんな時代にも許されることではない、と思ったがのです。
・男も負けずに、同じ会社で一生ご奉公しようというつまらない考えは早く捨てて、できるだけ会社に依存しないで生きることのできる方法を、なんとか見出さなければなりません。できるだけ他人に依存しない人生を送りたい。
・そうか、そうなんだ・・・・。なるほど、老化と成長は同じことなのか・・・。子供の成長は、すなわち老化であります。生まれ落ちたその瞬間から、人間は一歩一歩死に向かって進んでいくのですから。その意味では、老化も成長である、といえるでしょう。
・アンチエイジングより、大切なのはエイジング(熟成)です。発酵と腐敗が紙一重であるように、熟成と劣化も紙一重です。
・私はふつうに死んでいきたいと思います。もっといい医師を、もっといい病院を、もっといい療法を、と、ことさら最後の「夢」を求めてあがくつもりはありません。
・どんなにつまらないものにも価値があり、どんなに大きく見えるものも、近寄ってみればたいしたことはないものです。大事な問題は気軽に考え、つまらないことを重要に考える。目の前にあらわれるものはすべて等価値であると思えば、あたりまえの日常が死ぬまで続いても怖くないでしょう。
・実際には、年齢には関係なく、誰でもいつ死ぬかはわからないのは同じです。だとすれば、あまり先のほうに達成すべき大きな目標を持つよりも、毎日の小さな日常に喜びを見出して、今日を楽しむ方法を開発しなければなりません。
・私たちは、他人から見れば、大した仕事であっても、自分にとっては面白い、他人から言われなくても自ら進んでやりたいと思うような、ほかの誰にもまかすことができない仕事を見つけて、その仕事を死ぬまで続けたいものだと思います。
・私はどんな場合でも、いま自分の目の前にある状況がベストである、と常に考えるようにしています。与えられた現実は、動かしようがありません。
・今日を忘れて明日のことばかり思い煩うのはどう考えても納得いきません。はしゃぎ過ぎた資本主義経済がクールダウンしたいまこそ、いつまでも次の夢を追わずに、かといって未来に不安を抱くのではなく、いつの世にも変わらなぬ暮らしのかたちを見直したいとおもいませんか。
・「すでに成熟した社会」に住むようになった私たちは、これ以上、国として威を示したり、経済のさらなる拡大を求めたりすることは考えず、私たち個人の毎日の穏やかな暮らしを持続させることに、天才の知恵を傾けてはどうでしょうか?