「鉄砲を捨てた日本人」 ノエル・ペリン著 |
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2006年 07月 03日
読書感想文なのですが、気になった論に入れておきます。 この本は、日経新聞のコラムで取り上げられていました。「技術進歩止めた江戸の智恵に感銘」と題して語られています。本書は、鉄砲を捨てた日本人という過去を教訓に、核廃絶の決め手を欠く現代と未来への指針をさぐる「すぐれた問題提起の書」(訳者 川勝平太国際日本文化研究センター教授)である。 日本はその昔、歴史にのこる未曾有のことをやってのけました。ほぼ400年ほど前に日本は、火器に対する探求と開発を途中でやめ、徳川時代という世界の他の主導国がかって経験したことのない長期にわたる平和な時代を築きあげたのです。日本の示してくれた歴史的実験は、これを励みとして全世界が見習うべき模範たるものです。 それでは、なぜ鉄砲を捨てたのか? 少なくても5つの理由があると思われる。 第1に火器の統制がきかなくなってきたと感じる武士(立派な勇士たちが、ごろごろと卑怯な鉄砲で命を落とさねばならぬのは、あわれである)が日本には多勢いたことだ。日本の武士は総人口の8%弱という推定もある。ヨーロッパのどの国をとっても、騎士階級が優に1%を越すような国はなかった。 第2の理由は、地理的政治的なものである。日本は地理的に侵略が困難であった。したがって外国に対する国家的統合の維持は通常兵器によっても果たすことができた。 第3の理由は、刀剣が日本ではヨーロッパよりはるかに大きな象徴的な意味を持っていたころである。刀はプライドを表現する唯一のものだった。さらに日本では刀剣は通常の武器であるとともに代表的な美術品でもあった。 第4の理由は、外国人の思想わけてもキリスト教と商業の態度は受け入れがたい、とする反動的な潮流が存在したことになる。 第5の理由は、それは純粋に美的感覚の問題である。銃を撃つのは、ぶざまな格好を甘受する必要があったが、刀という武器はどういうわけかそれを使う者の身体の優美な動きと結びついているのである。その理由は簡単で刀剣は、飛び道具よりも品位の高い武器だからである。刀剣は危険含みの「剣の舞」たりうるのである。(続く) 日本史に学ぶ軍縮 日本人は兵器の発達を完全に止めた。いや後退させたのである。同時にその間に、日本人は兵器分野以外の多方面にわたって前進をとげたのである。徳川期日本の全体を見渡せば、そこには健全な生命力が息づいていたことが知れる。日本の歴史的経験は、次の二点の証しにはなっているはずである。第一に、ゼロ成長の経済と、中身豊かな文化的生活とは、100%両立しうるということ。 第二に、人間は、西洋人が想像しているほど受身のまま自分の作り出した知識と技術の犠牲になっている存在ではない、ということ。 進歩の道しるべを立て、その道筋を管理し、場合によってはその進行を止めることのできるのは、私たち人間である。・<帯から> 16世紀後半の日本は、非西欧圏で唯一、鉄砲の大量生産に成功し、西欧のいかなる国にもまさる鉄砲使用国になった。にもかかわらず、日本人は鉄砲を捨てて刀剣の世界に舞い戻った。武器の歴史において起こるべからざることが起こったのである。同時代の西欧では鉄砲の使用・拡大によって戦争に明け暮れていたことを考えると、この日本の<奇蹟>が示唆するところは大きい。 <抜書き> 日本はその昔、歴史にのこる未曾有のことをやってのけました。 ほぼ400年ほど前に日本は、火器に対する探求と開発を途中でやめ、徳川時代という世界の他の主導国がかって経験したことのない長期にわたる平和な時代を築きあげたのです。日本の示してくれた歴史的実験は、これを励みとして全世界が見習うべき模範たるものです。それでは、なぜ鉄砲を捨てたのか?少なくても5つの理由があると思われる。 第1に火器の統制がきかなくなってきたと感じる武士(立派な勇士たちが、ごろごろと卑怯な鉄砲で命を落とさねばならぬのは、あわれである)が日本には多勢いたことだ。日本の武士は総人口の8%弱という推定もある。ヨーロッパのどの国をとっても、騎士階級が優に1%を越すような国はなかった。 第2の理由は、地理的政治的なものである。日本は地理的に侵略が困難であった。したがって外国に対する国家的統合の維持は通常兵器によっても果たすことができた。 第3の理由は、刀剣が日本ではヨーロッパよりはるかに大きな象徴的な意味を持っていたころである。刀はプライドを表現する唯一のものだった。さらに日本では刀剣は通常の武器であるとともに代表的な美術品でもあった。 第4の理由は、外国人の思想わけてもキリスト教と商業の態度は受け入れがたい、とする反動的な潮流が存在したことになる。 第5の理由は、それは純粋に美的感覚の問題である。銃を撃つのは、ぶざまな格好を甘受する必要があったが、刀という武器はどういうわけかそれを使う者の身体の優美な動きと結びついているのである。その理由は簡単で刀剣は、飛び道具よりも品位の高い武器だからである。刀剣は危険含みの「剣の舞」たりうるのである。(続く) 日本史に学ぶ軍縮日本人は兵器の発達を完全に止めた。いや後退させたのである。同時にその間に、日本人は兵器分野以外の多方面にわたって前進をとげたのである。徳川期日本の全体を見渡せば、そこには健全な生命力が息づいていたことが知れる。 日本の歴史的経験は、次の二点の証しにはなっているはずである。 第一に、ゼロ成長の経済と、中身豊かな文化的生活とは、100%両立しうるということ。 第二に、人間は、西洋人が想像しているほど受身のまま自分の作り出した知識と技術の犠牲になっている存在ではない、ということ。進歩の道しるべを立て、その道筋を管理し、場合によってはその進行を止めることのできるのは、私たち人間である。 <感想> 時代としては、私が大嫌いだった江戸時代。理由は、進取の気風がなく、日本の発展を遅らせた張本人だ。江戸幕府が!と思ってました。 しかし「大江戸リサイクル事情」に書かれた、環境に理想的だった時代、「貧農史観を見直す」に書かれた、そんなに貧しくはなかった時代、そして浮世絵など独自の文化を発展させ、後々のヨーロッパにまで影響を与えた時代、三百年にわたり戦乱のなかった時代というのは、捨て難いのではないのはないのかと思うようになりました。 そして「この鉄砲を捨てた日本人」等々を読むと、江戸時代というのは、ある意味では優れた時代であって、これからの参考になり得るのではないかと感じています。 これらの歴史的な実績をもとに、湛山のような思想を加えていけば、世界平和にむけて、日本が役に立てる時も出てくるのではなかろうか?
by Nandemokoukisin
| 2006-07-03 12:25
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