理解できない、共感できないけど好ぎという関係 西加奈子さん |
シャルリー・エブド襲撃事件やシリアで後藤さんが誘拐されたときは完全に“別次元の話"として恐怖を感じてたと思うんです。でも今年のニースの事件に関してはトラックが人混みに突っ込んで被害が出ている。日本でも起こりうる事件なんです。だから危機感のリアリティが変わったと思います。余計イスラム教徒の方たちを守らなければとも思います。本当に美しい信仰を持ってる美しい人たちなんです。そしてイスラム教徒の若者が苦しさから「ISに入りたい」って思わせないためにどうしたらいいんやろうってすごく思うんです。それってやっぱり簡単なことで言ったら、差別をしないことじゃないでしょうか。
でも“差別をしない"ということを“みんな同じと思う"のも危険。無茶やし。”私ぱみんな違う"ところから始めたいというか。小説の感想でも「すごい共感しました」って言ってくださる方が多いんです。めちゃくちゃうれしいけど、もっとうれしい感想って「ぜんぜん共感できんかったし訳わからかったけど大好き」なんです。それを人間同士でもできるって思うんです。「あなたの言うことすごくわかるから好き。あなたの宗教すごくわかるから好き」じゃなくて「なんでこんなおいしい豚食べられへんのか意味わからんけど、あなたのことは好き」とか。“理解できへんし、共感できないけど好ぎっていう関係が今自分が考えられる限り一番目指したいものです。
たとえば親とか。正直、意見も趣味も合わへんし、でもやっぱり愛してるじゃないですか。それって、肉親っていうだけが理由じゃない気がして。ではそれは何かって言うと、その人がいてくれないと世界が成り立たなかったということやと思うんです。自分だけが生きてたら世界じゃないですよね。
人間を性善説で信じるか、性悪説で信じるかでそういうところがほんとに変わる気がします。私はもう絶対に“生まれてきただけで美しい"と思いたい。でもそれを信じなくて怖がってる人が多いから、他の国からの難民が入ってこないようにゲートを作ったりするんですよね。
こぼれ落ちるニュースを小説で届けたい
『サラバ!』を書くまで、エジプトのことを書きたいと思ったとかありませんでした。「アラブの春」がきっかけです。
世界が大きく変わっていくということに対して、作家としてのだ危機感を覚えたのかもしれません。「書かなければ」と思ったんでず『サラバ!』という作品は最初は男の子2人の言葉の壁を超えた友情の話を書きたいというところから始まりましたが`そこでエジプトのことを書こうと思ったのはアラブの春が大きかったです。
ここ数年ニュースなどが創作の原動力になっています。ニュースに対して「どうしてだろう」とか考えています。中村文則くんや作家たちとニュースについて話しながら「これはなんとかせにゃあかん。でも私たちができることって書くことやから大声で叫びながら書こう」とよく話しています。
小説は制約がない点で本当に恵まれてるので、この立場を利用しない手はないよねって。
ニュースでこぼれ落ちてしまうこと、たとえば「シリアのダルアーでデモが起こって200人亡くなりました」っていうニュースが、流れていってしまうかもしれないのを小説だったら「あなたの国のあなたの街であなたの大切な人が200人亡くなりました」と訴えることができると思うんです。あなたや私だったかもしれないということに置き換えて。
そしてこの1年ぐらい作家として気持ちがすごく変わってきています。今まで自分自身に対して小説を書いていたのが、世界の情勢や財界の匂いとかを書いていると、とにかく色々な人に読んでほしいという気持ちに変わってきました。普段本を読む心の余裕のない人にどうしたら本を読んでもらえるか、ずっと考えています。
とにかくあきらめないことやと思っています。考え続けることを。考えるのを放棄したら、ほんとに終わってしまうと思います。
(取材:2016年7月20日 東京・国連UNHCR協会事務所)