「死にゆく妻との旅路」 清水 久典 著 |
ガン再発の恐れのある妻と自己破産寸前の夫がワゴン車で旅を続ける話です。
現代日本の縮図のような生き方をしている夫、大手縫製工場に勤めて中間管理職、後進国の追い上げにあってリストラ退職、自分で小さな縫製工場を立ち上げてまずまず成功するも、友人の保証人になって追い込まれ、今度は自分の事業も左前になり、ついには自己破産の危機に瀕します。
貧すれば鈍す、今度は妻がガンになってします・・・・・・
あまり存在感の無かった妻、子供とも折り合いが悪かった妻、ガンの手術をしても3ヶ月以内に再発の恐れがある妻、そんな妻に夫は、
「できるだけひとみ(妻)の側にいてやりたい、同じ時期を過ごしてやりたい。入院させたら、ひとみと離れ離れだ。わしは約束したじゃないか、ひとみをひとりにしないと」と思うのです。
退院した妻と自己破産の宣告を親戚中から言われている夫は、一時の現実逃避から旅を続けているうちに、結局は妻が死ぬまでの数ヶ月、車の中で寝泊りしながら、あてのない旅を続けます。
所持金はたったの50万、車の中で食事をして、風呂といえば公衆トイレの身障者用を借りての身体拭き程度の極限に近い旅の暮らしです、
妻は夫のことを「オッサン」と呼びますが、旅の初めにどういうわけか、自分のことは名前「ひとみ」で読んでくれと頼みます
富士山の姿に感動し、涌水を見つけて喜び、スーパーで働けるようになったら着ると言って洋服を買い、仕事を見つけると称して、その町その町の職安に立ち寄ります。びっくりするような特段のエピソードもあるわけではありません。
妻の体調が悪化してからも、病院に行くのを頑なまでに拒否続けます、「オッサンと一緒ならばいい」と・・・・そして、ついに、妻は静かに車の中で息を引き取ります。
その上オッサンを襲う不幸は、病気の妻を放置し死なせてしまったことで、保護者死体遺棄という罪で留置所に入れられ、妻の葬式にも立ち会うことが出来なくなります。
なんともやりきれない話です、あくまで本人の希望に従っただけのはずなのに、妻の旅立ちを見送ることもできないのです。
救いのないような現実に、救いはあったのだろうか?
実際のところ、私には、よく分かりませんでした。
そしてこのオッサンは、一時娘のところに身を寄せるものの、呆然とした日々に決別し、住み込みで肉体労働を始めます。
身体をいじめていじめて、へとへとになりながら、この手記が出来上がるのです。この手記が新潮45に掲載され、さらに今回文庫本として発刊されることになりました。妻の死を、そして妻と供に生きた証を残したことが、彼にとって救いだったのかもしれません。