ぼくたちに、もうモノは必要ない 佐々木典士著 |
・この本で伝えたいことをミニマルにまとめるとこうなる。僕はモノが少ないことの素晴らしさをこの本で伝えたい。
・そんな状態から、僕はものを捨てることで変わり始めている。モノが多過ぎると、確実に損われるものがある。以前の僕のように、もし不満だらけで不幸だと感じているなら、モノを少なくしてみることで、必ず何かが変わるはずだ。
・モノを捨てて本当によかった。ぼくははっきりと、違う人間になり始めている。
・ミニマリズムは「目的」ではない。モノを少なくすることが目的ではない。
大事なものを大事にするために、大事でないものを「減らす」。
大事なものに集中するために、それ以外を「減らす」。
・ミニマリストがなれた3つの条件を改めて。
①増えすぎた情報友のとモノ
②モノを持たないで済む、モノとサービスの発展
③東日本大震災 こうしてみると、ここ数年でミニマリストが生まれたのは、もはや必然ではないかと僕は思ってしまう。
・進化していない5万年前のハードウェア(人間)に情報もモノを詰め込みすぎている、というのが今の実情だ。
・我々は、幸福になるためよりも、幸福だと人に思わせるため四苦八苦している ラ・ロシュフコー
・ミニマリストとは、「本当に自分に必要なものが分かっている人」「大事なもののために減らす人」だと僕は考えている。
・ミニマリズムは、「目的」ではない。モノを少なくすることが目的ではない。ミニマリズムはそれぞれが違う大事なものを見つけるための手段。肝心な物語を紡ぐための「序章」がミニマリズムだ。
・モノと、技術の発展によって、モノ自体が減らせるようになったのだ。
・モノを持たずにすむサービスの発展も著しい。自分1人で所有するのではなく共有する、シェアする文化の浸透も見逃せない。
・「優勝した私は、ごくわずかな人しか知りえないことを知りました。勝利の喜びは敗北の苦しみにはかなわない。そして、幸せな気持ちは悲しい気持ちほど長くは続かない。似ているとさえ言えません」。1992年ウィンブルドンで優勝した後アンドレ・アガシはこう語ったという。
・かって自分が欲しいと思ったものはすべて手に入っている。なぜなら僕たちの周りにあるものは、いつかどうしても欲しいと思ったモノだけだからだ。少しも望んでない、こんなのの絶対にほしくない!と思ったものは持っているはずがない。
・モノを自分の価値を伝える手段にしていると、モノはどんどん増えていく。増えれば増えるほど自分の価値が伝わりやすくなるのだから当然だ。
・そもそもモノは道具で、石器や土器のように本来はその機能のために使われていた。はじめは本当に必要なものしかなかった。長い時間が経って、社会全体が豊かになると、いつしかモノは違う目的で使われるようになる。人間の深い欲求である「自分には価値がある」と確認する目的だ。
・時間があるから捨てられるのではなく、捨てるから時間ができるようになる。だから今すぐ捨てなければならない。捨てるのは今だ。捨てるのが最優先事項だ。
・過去のものと向き合うことは、過去の自分とばかり向き合うことでもある。それは「自分自身」に対する偏見を塗り直して固めていくような作業だ。今の自分が最高に好きならそれでもいい。何か変わりたいと思うなら、「今」必要なのものだけ手元に置こう。
・「持たない男」から引用。たとえ、思い出が詰まってる写真や記録などを捨てたとしても、自分の中の記憶としての過去は残っています。もし忘れてしまうような思い出なら、自分にとって忘れていい、必要ないものでしょう。必要な人生の記憶は自然に残っています。
・「収納」、「片付け」という発想捨てる。まず収納という巣を捨てる。
・「無用の用」という言葉があるが、何もない空いた空間こそが、落ち着いた気持ちにさせてくれる。一見死んだスペースこそが、生き生きとした気持ちを生み出す。
・心理学者のジム・キャサーは「時間の豊かさ」が幸せに直結し、「物質の豊かさ」はそうではないと主張した。
・ものを最小限に減らすと、確実に時間が増える。ものに奪われていた時間が戻ってくる。幸せを根底で支えるのは「時間の豊かさ」。
・すべてを失ってはじめて、やりたいことをする自由を手に入れられる。タイラー・ダーデン「ファイト・クラブ」
・気に入った同じモノを買い続けたり、修理して長く使えば新たな選択で迷う時間は無い。十分にこれでいいと満足できているので新しいものにも目が行く機会も少ない。モノに限らず、選択肢を絞るのは決断を早くし、無駄な時間を削るために欠かせない。
・ドミニク・ローホーさんのように12m²ぐらいの部屋が素敵に思える。
・ミニマリズムを進めていくと本当に自分を他人と比べなくなってくる。
・好きだからこそ、自分自身だとすら思えるもの。それを捨てる事は、自らを縛っている「自己認識」からも自由になることだ。本当にずいぶん楽になれた。
・自分に何もかけていないと知ったとき、世界はあなたとひとつになる。 老子
・自分が行動したこと、すべては取るに足らないことかもしれない。しかし、行動したというそのことが重要なのである。マハトマガンジー
・身軽になれば、どこででもすぐに行けるようになる。他人の目線が気にならなくなるので、失敗を恐れず挑戦できる。ものを手放せば、ミニマムライフコストが下がるので、楽観的になれる。
・経験は誰にも盗めない、奪われない。
・ものが少なくなれば、ものから発せられる「沈黙のメッセージ」は当然減る。
・「集中」が生む幸せについての研究がある。心理学者のチクセントミハイダ「フロー」と呼ぶ状態の集中だ。没頭して集中できることがあると、人は時間を忘れるだけでなく、自分が抱えている問題も忘れる。さらに集中すると、自分というエゴさえ消えていく。そして時間がたつにつれて、充実感を感じ、生きる素晴らしさすら感じるという。
・ミニマリストには、瞑想や座禅、ヨガを習慣にしている人が多い。考えてみるとこれはごく自然なことである。モノを減らすと、自分の意識が「外側」にあるもので煩わされることが少なくなる。すると意識は自分の「内側」に自然と向かう。
・ミニマリストはやせている。
・無所有をといたマハトマガンジーはこういった「自分1人の楽しみのためだけに、モノを持つより、人のために尽くしたほうがはるかに人生は豊かになる」。
・「いつか」という未来に必要だったものと、「かって」という過去に必要だったものを捨てる。すると「今」だけが残った。モノを捨てることで「今」に集中することができるようになったのだ。
・未来と過去とは実際には存在せず、永遠の「今」があり、経験できるのは「今」だけ。アインシュタインがそのことを意味して、過去と未来と今を区別することができない、といったのだと思う。
・自分に足りないものばかりを数えていたときには、今持っているものに対してなんて感謝することはなかった。
・人に備わっている。「慣れ」→「飽きる」というどうしょうもない仕組みに対抗できるのは、唯一感謝だけだ。感謝だけが、今もっているものをいつもと同じ「当たり前」でつまらないものとみなすことを防いでくれる。
・「今」に「感謝」し続ける。すべての「今」を「肯定的に見続ける」人がどうなるかは明らかである。ポジティブで、寛容で、あきらめない。親切で、優しく、何よりいつも幸せそうだ。
・アインシュタインはこういった。「どうして自分を責めるんですか?必要な時に誰かがちゃんと責めてくれるんだから、いいじゃないですか?」。必要になった時に自分を責めればよかったのだ。
・幸せになることはできない。幸せはその都度「感じる」しかないものだと思う。その瞬間、瞬間に「感じる」しかないものが幸せだ。そして人が経験できるのは「今」という時間だけ。たった「今」、この瞬間の幸せを感じられない人は、明日もあさっても、一年後も幸せは感じられない。
・モノを持たないぼくには、ゆったりとした時間がある。毎日の生活を楽しめ、生きているだけでも十分だという気がする。
なるほどね、モノを減らして、幸せを感じるメカニズムとは、こういうものなのか!最初は、ちょっと著者のいうことに、入り込めなかったのですが、最後になると、やりたいという気持ちになった(笑)
定年退職後に、一度、断捨離にとりかかったのですが、途中で止まり、また、やってみよう!オークションも活用しながら・・・・
もう一つ、庵でもある、我が艇が、物置化している、こちらの方も大問題、いつでも出艇できるように、簡素に整理がされていなくてはいけないのに!!!
「大事なものを大事にするために、大事でないものを「減らす」。と書いてあります」。