鹿の王 上橋菜穂子著 |
辺境の土地に住み、飛鹿と暮らししていた主人公ヴァンは、侵略国と闘うために、死を求め戦う戦士団<独角>の頭となるが、その圧倒的な力となり奴隷となり、ある日、山犬に咬まれ死を免れない病気になるが、奇跡的に回復する。なぜ、彼だけが助かるのか?
占領された国家がどう生き抜くのか、占領した土地に移住させて今までの農地を変えようとする試み、そこで発生する諸問題、新しい病気、その病気を利用しようとするもの、それを阻止する医術師のホッサル、彼が類まれなる医術師として病気に立ち向かっていく姿、ウィルスへの対処、免疫、ワクチン等を作り出す奮闘、複雑な国家事情、民族事情もからみ複雑ですが、人間愛が流れ、面白いです。上下巻で1,100ページですが、飽きさせないで一気に!
・妻と息子の面影が薄れ始めたことに気づいたとき、我が身も薄れていくような気がした。妻と息子の存在感が薄れていくにつれて、自分が生きることの意味もまた薄れていった。
・飛鹿(ピュイカ)の群れの中には、群が危機に陥ったとき、己の命を張って群れを逃す鹿が現れるのです。長でもなく、仔を持たぬ鹿であっても、危難にいち早く気づき、我が命として群を助ける鹿が。たいていは、かつては頑健であった牡で、今はもう盛りを過ぎ、しかし、なお敵と戦う力を充分に残しているようなものが、そういうことをします。私たちは、こういう鹿を尊び、<鹿の王>と呼んでいます。群れを支配する者、という意味ではなく、本当の意味で群れの存続を支える尊むげき者として、あなた方が、そういうものを<王>とは呼ばないかもしれませんが。
・雌雄がある生き物は、自分とは別の新たな命を産みだすと、死んでいく。新たな命が独り立ちできるまでは生きられても、やがては、病み、あるいは老いて、死ぬ。気が春に新芽を燃え立たせるために、秋に葉を落とすように、新たな命に生きる場所を譲って。生きることだけでなく、死ぬこともまた、生き物の身体には、その生のはじめから仕込まれているんだ。
・真のある生き物は全て、一回限りの命を生きて、死んでいきます。生み出していく命も、<自分>ではない。子は、母でも、父でもない、全く別の命なんです。生まれてくるすべては、そのとき一回しか生まれない個性をもった命なんですよ。
・私たちは皆、ただひとつの個性なんです。この体もこの顔も、この心も、一回だけ、この世に現れて、やがて消えていくものなんですよ。
・人の身体は国みたいなもんだって。ほんとに、そう。ひとつの個体に見えるけど、実際には、びっくりするほどたくさんの小さな命がこの体の中にいて、私たちを生かしながら、自分たちも生きていて、……私たちの体が病んだり、老いたりして死んでいくと土に還ったり、他の生き物の中に入ったりして命を繋いでいく。そう思うとね、身体の死って、変化でしかないような気がしちゃうんです。まとまっていた個体がぱらっと解散しただけ、のような。
・身体も国も、ひとかたまりの何かであるような気がするが、実はそうではないのだろう。雑多な小さな命が寄り集まり、それぞれの命を生きながら、いつしか渾然一体となって、ひとつの大きな命をつないでいるだけなのだ。そういう大きなー多分、この世のはじまりの時に神々がその指で紡ぎ出したー理の中に、我々は生まれ、そして、消えてゆく。一瞬の生。
・父が言っていた。人というのは哀しいもので、何をやっても、どこかに悔いが残るもんだと
・人に比べれば獣はあっさりしたもので、迷いなんぞないように見えるが、それも、俺たちが勝手にそう思っているだけで、獣には獣なりの悩みがあるのかもしれん。このままれたものは、皆、どうもわいでも結局、悔いを背負っていけるのかもしれん、と
・追われて走るうちに仔鹿が遅れてしまうことがある。そんな時、群れのなかから、一頭の牡鹿がぴょん、と躍り出て、天敵と向かい合ったのを見たことがある、と父が言ったんだ。もう若くもない、いい歳の牡が、そんなことをした、というんだよ。
・敵の前にただ一頭で飛び出して、踊ってみせるような鹿は、それができる心と身体を、天から授かってしまった鹿なのだろう。才というのは残酷なものだ。ときに、死地にそのものを押し出す。そんな才を持って生まれなければ、己の命を全うできただろうに、なんと、哀しい奴じゃないか、と
・そういう鹿のことを、呑気に<鹿の王>だのなんだのと持ち上げて話すのを聞くたびに、これは反吐が出そうになるのだ。・・・助けられたものが、そいつに感謝するのは当たり前だが、そういうやつを、群れを助ける王だなんだのと持ち上げる気持ちの裏にあるものが、これは大嫌いなのだ、と。
・生きることには、多分意味なんぞないんだろうに。在るように在り、消えるように消えるだけなんなのだろうに
・確かに病は神に似た顔をしている。いつ罹るのかも、なぜ罹るかもわからず、助からぬものと助かるものの境目も定かではない、己の手を遠く離れたなにかー神々の掌に描かれた運命のように見える。だからといって、諦め、悄然と受け入れてよいものではなかろう。なぜなら、その中で、もがくことこそが、多分、生きる、ということだから。
・死者は答えぬ。・・・答えはいつも、我が身のうちにある。
・滔々流れる大河の中で、浮き沈みしながら、ようやく生きている小さな命を助けるために、医術師になったのだ。