神秘 白石一文著 |
「もう一人の自分」かー
この世界と人間の営みを明かす
白石文学の集大成!
なんでかな、新聞かなにかで、好意的に評されているので読みたくなったのかな?図書館にあったので、頼んでおいたら、やっと来た。その時の動機は忘れている、困ったものだ?
体調不良で病院に、告げられたことは、末期のすい臓がんで余命一年
会社生活は、編集者を経て、将来の社長を嘱望されるまで出生し、順調なはずだったが。
さて、彼は何をするか、ガンの原因は、妻との離婚にあることは明らかであった。
彼は、二十数年前に掛かってきた電話のことが忘れられない、この女性に探すために神戸へ
そもそもの結婚のきっかけとなった、タクシーの運転手、妻の諍いのもととなった子供の命名、義父のこと、思ってもみなかったことが・・・・巡り巡って、
ラスト章で、すべてのことが必然だったのか!!衝撃の事実であかされる。
最後の最後の章「神秘」に書かれたことは、最初、なんだこれは!分からんと思ったら、思い出した!そういうことだったのか、これは、作者のサービスだんだろうか(笑)
<抜書>
・肉体が消滅することへの恐怖や肉体自体が呼び覚ます数々の苦痛こそが、私たちの心の拠って立つ土台であるのだ。
・がんと診断されながら、さまざまな治療法によって長期生存を果たし、再発の危険を免れた患者というのは、本人の自覚の有無にかかわらず、なんらかの形で、もう一人の自分を発見し、その自分と成就に和解ができたのではないか。
・「もしも、あと一日、一週間、あるいは一年缶の命だとわかって、何を選ぶとしたら、自分が正しいと感じるであろうことを優先しなさい」
・余命なの限られたがん患者は「今すぐにこころのあり方を変えねばならない」とドクターはいう。なぜなら、自分が今なにを感じているかを即座に掴めなくなったことが、がんになった大きな原因の一つだからだ。
・あと一日の生命だったらとしたら、何をすることが自分にとって正しいのだろう?ドクターの著書にその一節を見つけて以来、私は常に自問するようになった。
・ぼくらの大半は、人類全体になにかをお返ししたいと、人類全体の流れになにかを加えたいと思っているんだ。それは、つまり、自分のやれる方法で表現するってことなんだーースティーブ・ジョブズ
・この苦しみ、この辛さは、確かに今は耐えがたいほどの苦しみであり辛さであるが、いずれは自分の人生にとって役にたつものなのだと。たとえ、それが余命一年の末期がんの宣告であったとしても・・・・
・つくづく誰のこともよくは知らずに人間は生きているのだと思う。・・・その罪滅ぼしに、人間はもっともっと自分自身のことを知らねばならないのではないかー最近の私はそんなふうに考えるようになった。
・死は決して忌むものではないし、死を忌むのは生きている人間だけだ。死者にとっての死はまったき自然だ。だから人は最後の最後は一人で死んだほうがいい。歳を取ったらいつ死ぬか分からないのだから、できるだけ一人で生活すべきだ。なのに孤独でいることがいまの時代は本当にむずかしい。親孝行は子供たちや身近な他人がおせっかいを焼いてくるし、そうあんるといい歳をした大人がそれに甘えるようになる。こころはぬるま湯に浸り、どんどん芯を失っていく。孝行息子や娘たちが死ぬまでつきまとって、死の厳粛さを根こそぎ奪い去ってしまう。
・私たちは、普通の生活している限りがんにはならない。何かささいな、あるいは顕著が身体症状が出て病院に行ったり、ないしはまったく別の病気で検査を受けたり、がん検診に出向いたりすることによって「がん」になる。だとすれば、とりあえずがんになりたくない者は、決して病院に近づかないようにすればいいーーというのは、実践的な考え方だろう。
がんを見つけないというのは、有効ながん克服法だと私は思う。
・がんかもしれない、感じた時点で、診断を仰がずに自主的努力を開始する。それまでの生活習慣や生き方を見直し、粗略に扱ってきた肉体や精神を癒やすことに重きをおく。実はそうやって、知らぬ間にがん細胞を身体から退けている人は大勢いるのではないだろうか?
・怖がらずに生き抜いて平和な生活をして究極の死を迎えることだ。そうすれば治療の道も開ける。そして、人は誤った強がりーー人はどんな病気も治せ、死ぬこともないというーーから解放されるのだ。
・そのために最も必要なのは、、社会と人びとと深くつながり、私個人ではなく私たち全体としてよりよく生きることではないのか。・・・全体として生きると本気で決心したとき、病者として孤立していた私たちは不治の病を克服する常ならぬ力を獲得し、さらにはそこを超えて究極の死を手に入れることができる。最後の最後の瞬間、私たちはやよいの言うようにたった一人でこの世界に別れを告げる。自分だけの”死の厳粛”を味わうのだ。
・病を得ると同時に、人は社会のつながりを失い、誰かを思いやったり、誰かのために尽くすことができなくなる。健康の大切はとはまさにそこにあるのだろう。たとえ一人で生きていたとしても、死ぬ最後の最後は瞬間まで、人は社会と、そして人々と深くつながっていたいのだ。