俺に似たひと 平川克美著 |
・実家の棚という棚、引き出しという引き出しにぎゅうづめに詰め込まれたゴミやガラクタを見て、俺は橋下治の昭和三部作のひとつである「巡礼」を思い出した。
・疾病利得」疾病とは
人間が致し方なく陥ってしまうネガティブな状態でしかないと考えられがちだが、そこにも積極的な意味が隠されていることを示唆してくれる。
・それ以来俺は、正気に戻って耐え難いつらさを耐え忍ぶ苦しさを味わうよりは、けってせん妄状態のままでいてくれたほうがいいかもしれないと思うようになった。
・「人工呼吸器はやめましょう。そんな器具で生きていくことを親父は望まないと思う。何かほかに手立てがあるのなら、そちらに賭けてみたい」、まさに生と死を分ける賭けであった。
・大便を漏らすたびに、父親の自尊心もまた破損していく。
・食べられることと、風呂に入ること。そのときの父親にとっての楽しみは、このふたつしか残っていなかった。
・これから先、何年生きていけるのか分からなかったが、そこに希望をいうものがほとんど存在していないことだけは、はっきりしていた。俺は、老いて、病んで、なお生きるということの意味を考えないわけにはいかなかった。
・人並みの生活をしていくために最低限しなくてはならないことはさほど多くはないが、それを毎日きちんと続けて習慣にするためには、結構多くのやりたいことを諦めなければならない。そして、この習慣にはそれだけの価値はあると思えるようになった。
・変化は、目に見えない。それは2006年をピークにして人口減少し始めた日本という国についても言えることだった。人口減少という目に見える状況になったときには、日本はすでに大きな変化を終了していたのである。しかし、多くの人はそのようには考えていないようであった。
・「みんな、がんばれがんばれって言うけど、がんばっているんだよ」これ以上何をがんばればいいのだといったように呟くことがあった。
・いや、俺も二、三日、介護から解放される日が欲しかった。
・「知っているのが、みないなくなる」と父親は嘆いていた。長生きしてつらいのは、知人が次々といなくなることだと聞いたことがあった。
・人間の一生にとっていくつかの転轍点があるように、三月十一日の震災は日本という国にとってひとつの転轍点なのかもしれなかった。
・ただ、日本がこれまでの延長線上ではやっていけないことは明らかであるように思える。それでもあまりにも長い平穏の時代の惰性は、日本人に変化の仕方を忘れさせてしまったのかもしれなかった。
・いったい何のために、手術なんてしんただろうと思う。・・・
病を治すという行為に意味があるのは、あくまでも病の先に普段の生活が待っていることが前提である。あるいは、とりあえず、緊急の危機から脱出するということ。しかし、この時の父親にとっての誤嚥性肺炎や歩行困難やせん妄は、はたして病」だったのだろうか。
・「老い」とは病とか異常とかいうような文脈とは別mの、人間の生涯のなかの一場面なのではないのだろうか。
・諦めとは、将来に関与する気持ちを捨て去ることなのかもしれない。なるようにしかならないし、なるようになればよいと思うことだろう。諦めには悲哀がつきまとうが、空疎な希望を抱きながら絶望するよりはよほどましである。
・「単独」のかけがえのなさを知ってはじめて「共同性」の大切さが身に染みるのだ。
・結局、父親を救ったのは、せん妄と、死であった。
・「どうにもならないことがたくさんあるけれど、なんとかなる、どうにかなる」それはおそらくは彼女の素直な気持ちの表出だったのだろう。
・父親が一年半寝込んでいた病室が応接室に変わって、話し声や笑いで満たされている。その中央には、父親が使い込んだ製図板がある。いい光景だった。俺は、なんともいえない幸福な気持ちになっていた。
テレビで介護は、生前供養と話しておられました。