風来好日 スモールライフ 何もなくて豊かな暮らし 久保田昭三 |
小さく暮らして 大きく生きるという そのほんとうの大きさをイメージできたら、サバイバルをあきらめないですむ。
・つつましい行き方を、ぜいたくな生き方につなげたいという、根っからのシンプル派だ。
・あわれむこと、思いやることはできても、おいそれとその辛さを背に負うことはできない。・・・せめて、なにもできないなら、こちらの日常をととのえること、おごらないことだ。
・海進、海退、1000年とか2000年というスパンでの動きか、けっして地中はおとなしい星ではなかった。・・・首都東京は沈没するかもしれないし、その前に大地震が見舞うかもしれない。
・「人生で一番美しいのは、四季の移り変わりみたいな、一番単純なものなんだ」
・アポリジニたちは、死ぬまで仕事をしないで、不況も構造不況も失業もなく、ひまさえあれば歌と踊りとおしゃべりだという。カンガルーのお肉はそのへんを跳びはね、砂を掘ると水がわきだし、樹の下でお昼寝していると甘い実がころりと落ちて。
・有機農業、自転車、風車、太陽電池、自然医療・・・・ソ連圏崩壊とアメリカの経済封鎖の中で、食料、エネルギー、医療など、世界が注目する「持続可能な社会」のトップランナーへと躍り出たキューバを緊急リポート、1990年代は食料自給率43%という現在の日本と大差ない状況だったのが、首都ハバナを耕すという大転換を行い、しかも耕地190万haのうち150万haを完全無農薬・無肥料にして伝統食の復活、自給率の向上、そして都市農業における雇用を生むという好循環の中にある。その上、深刻なエネルギー危機を脱するべく、バイオマス、風力、太陽光などの自然エネルギー開発にも取り組み、まさに国をあげてのスローフード運動を展開している。
・みどりの政治宣言には、「スロー スモール シンプル」とあり、基本方針は、「わたしたちは、自給自足型、地域重視型、省エネルギー型の経済を確立して、他国に迷惑をかけないようにすることが必要であると考えています。それとともに、グローバル経済から生活や地域経済を守る仕組みも整えます。
・あたりさわりのない、ありきたりのあいさつでもいい、いたわりのことばをとどけてあげようと、おたがいに、いつか看取られるときがきたら、ありがとうという思いでこの世を去れるように。
・「鷲の羽衣の女」でえがかれたエレーヌさんは、「すべてのものは、あるべき自然のまま、そこにあるべきなんだ。石油も、ウランも、水も、自然のあるべきところになる間は、なんの問題もおこらない」「それを科学とか学問とかで、人間はこわしてく。・・・人間横暴なんだ。地球をこわしてしまう。生き物たち、天や地に、申し訳ないことをしてるんだ」
・どうやら、だれもが、なにもかも買うように仕組まれてしまい、手をかけてそれをつくりだす正直さを奪われてしまっている、好きなようにできて、悲喜こもごもの、この世にあるたしかさも。
・風来の農場のほうももっと広く借りられるのだが、やめておくことにした。だれもが耕して、必要なだけ貯え、弱者の間で分けあうこと。いつか、飢饉に見舞われることがあっても、争うことのないように。まちがっても、土に手をかけない強者に、それを奪われたくはない。
・ぼくたちが、だれかにひかれるのは、そのだれかの人柄とか人格というもので、地位とか資産ではなかろう。だれもが、身につけた人柄で、この浮世を生きることになる。
・老年は病み易く、また死に易いということになる。そのとおりなら、老いにわずらうことのないように、若者はその若さを思いのままに行きたらいい。
・あの宮沢賢治は、38歳で亡くなられたが、その晩年に「禁欲は、けっきょく何にもなりませんでしたよ。その大きな反動で病気になったのです」とも「草や木や自然を書くようにエロのことを書きたい」とも、友人に話されたという。
・いま、なにが見えているのか、この国の若いものたち・・・わからなかったら、わからないでいい、そうではないかとぼくには思われる。いま、そこに、いるだけでいいい。もうしばらくしたら、わたしはわたしよ、生きたいように生きてやるわって、居直れるかもしれないではないか。
・歩けるうちは歩くといいのに、歩けるのに歩かないで、車にたより石油にたよる人たちばかり。
・老醜ということばにこだわるが、身だしなみをこころえないぼくなどは、よそには醜く見えているかもしれない。それを気にしていたら、気楽にどこにもでかけられない。それにまた、だれもがそのように老いてこの世から失せるものであることを、とりわけ小さいこどもたちにはきちんと伝えておきたい気がしている。
・ヒヒの群れを率いるのは若いリーダーで、そのような「高い順位にある最強の雄のほかに、ときにはほとんど歯の抜けてしまった年よりがいる。彼らは、ふだんは群れにただくっついてるだけで・・・けれでも予期しないことに出会って迷ったりしたとき、その知恵を生かせるお年寄りに職務がまかされる。経験のある年よりは、じつは「賢者の顧問」としておかれている。
・戦争は悲惨だからやっちゃいけないと/知っている人が戦争を繰り返している
悲惨だと認識することは大切だとしても/それだけでは戦争は防ぎきれない
・リビングストンは、その著書「破壊の伝統」で、「細胞も、個体も、種も不滅ではない。この事実こそ慰めがある」
・たとえば、作家の死後にも作品は生きつづける、ということだ。いつか、だれにも、老いのときがおとずれる。その先の死のときまで、やらなければならないことが、だれにもあるはずではないか。
・荒廃させた山河を、繁栄によってわがものにした資産を手ばなして、もとどおりに修復したい。そのあとに、これから生きるものたちに、あらたな人生の価値づけを伝えようと、そういうことかもしれない。老いたものは、これまでこの地上を荒らしたその手に、スコップをにぎったらいい。愚直に、もくもくと苗を植えつづけ、この世を去るのはそれからにしたい。
・この小屋も、ぼくが息をしているあいだだけ建っていてくれればいい。そこで昼に食らい、やりたい仕事を好きなようにつづけて、夜は横になって休む。ほころびたら、手をかけてつくろい、そのように使いなれること。そこにあるものを、うまく生かせるようにできたら、それが器用仕事というものだろう。
・とにかく、賢く老いて、賢く死にたい
・まだ若いまだ若いといっているまに、まちがいなく老いるわけで、あまり気負わないほうがいい。気負うは、競うと書くこともあり、争うという意味にも使われる。あなたは、まだ「あしたはもっと」といえる若さですか、もう「きのうとおなじならいい」という老いですか。いまのぼくに、ここまで老いても、足りないものはなにもない。
・町も村もまた、すっぴんでも、素っ貧でもいい。うちに若さがあり、民度に高さがあったら、外を装ったりしないで、住民はほどほどの稼ぎでよく、指導者もカリスマ志向をやめて、その税収に見あった福祉を考えてくれたらいい。だれもが、そのひとりを、どのように生きるか。「自分の身を治めることを、天下を治めることよりも愛する人間にこそ、天下を託することができよう」とは荘子のことばだ。
・好ましいとわかったスタイルに、ふだんの暮らしむきを選びなおすことくらいできるかもしれない。
・それまで、最後のインディアンと言われたイシが身につけていたという、つぎのような哲学に魅せられる。「彼の生きかたは安心立命の道、中庸の道であって、少し働き、少し遊び、親しい友に囲まれて静かに歩んで行くという風であった」
・このあたりのどこにも、川や堀があって、夏にも冬にも流れつづける。そこに水車をまわして電気エネルギーをとりだせないか、そのくらいの知恵をだしあえたらおもしろいのに、と。
・たとえば、そのようなアイディアで、、おたがいに顔の見える地元を、おもしろい居場所にかえていく、商売にはならなくても、スローフードの、「地産地消」というもので。グリーンツーリズムの宿舎を建てるとか、果樹公園とか観光農園、屎尿からはガスを、生ごみを堆肥化するプラントをここにつくり、ここの農家にまわしてあげて、安全な食材をこおの消費者に、などと。なにかが一つにつながり、その首尾がだれにもよく見えるように。
・不況でも、デフレでも、それはかまわない。仕事を分けあって、稼ぎなど少なくても、ほどほどに暮らせたら、ちょうどいい程度を、ほとほどといい、ちょっと足りないくらいをそこそこという。
・ほどほどならいいか、そこそこでもいいか。ぼくはこの世に在って、そこそこでいいと思っている。在野ということばもあり、官職などつかないで、自然のままに生きることをいう。いつも野に在りたいし、ここにいることの安らぎを生きたい。
・うしなったものに気づいて、それを嘆くことを「風樹の嘆」という。しっかりと土に根をはって強風にこたえ、そよ風にはのびのびと身をまかせる、人はだれもがそのように風の中で息づいている、あなたも、ぼくも、森もなかの一本の木だ。
・だれもが、この世に生れおちて、「諾」と祝福された。そのとおり「はじめにイエスありき」だったものが、いつか老いて病むことになれば、いくらかでもそれを「否」と先へのばしたくなる。おなじように、この地上を荒らしまわったあげくに、時代は老いにさしかかって「すでにノーありき」なのだろうか。
・その生活習慣をこれでいいと納得できるまで小さくできたら、まだまだ若がえることもできそうな気がする。
・著作一覧
関西弁で言えば、ぼちぼちの暮らしがいい。