回顧 論壇からつまみ食い 朝日新聞 |
韓国からは竹島(独島)で「境界」をどう運用するかを決める権限は「(漁民などの)地域の人々」「当事者」に持たせるべきだ、という朴裕阿の寄稿が届いた(atプラス14号)。「中央中心主義」ではなく「ローカル(地域)中心」で和解の土台を探ろうという提案だった。
戦後日本という時空間を日米関係の観点から考察し直した赤坂真理の小説「東京プリズン」は、論壇でも話題となった。
戦後の成長を支えてきた社会システムが機能不全に陥っているのではないか。論壇にはそんな認識が広がっている。たとえぱ小熊英二は、平成とはどのような時代だったかと問われ「自国が最盛期だった時代を忘れ、時代の構造からの変化に目をつぶってきた歴史」だと(「平成史」)。
しかし、今回総選挙で圧勝したのは、よき時代を過去に求め、「日本を、取り戻す。」と訴える党だった。
脱原発を求める民衆が街頭に集まった現象は、代議制とは違う、直接的な政治参加の方法があるという事実を印象づけた。
デモで社会は変わるのかと問われ、変わる、なぜなら「(デモをしない社会から)デモをする社会」に変わるからだ、と3・11後に答えたのは柄谷行人だった。世界9月号で柄谷は、「人々が主権者であるような社会は、代議士の選挙によってではなく、デモによってもたらされる」と説き、民主主義イメージの転換を勧めた。
敗戦とは何だったか。日本軍による虐殺・レイブと、米軍による原爆投下の責任を同時に問うことは可能なのか。作中で主人公の少女マリは次のような結論に達した。「自分たちの過ちを見たくないあまりに、他人の過ちにまで目をつぶってしまったことこそ、私たちの負けだった」
自分は正しい、悪いのは相手ダという善悪二元的な歴史の見方から自由になる道への、いざないの言葉に読めた。
大島堅一「原発のコスト」は、社会的コストも含めると原子力という発電方式は実は高コストだと論証した。