詩の樹の下で 長田弘著 |
死の知らせは、不思議な働きをする。それは悲しみをでなく、むしろ、その人についての、忘れていた、わずかな些細な印象をあざやかに生きかえらせる。
・切り株の木
切り株よ、過去も現在も未来もないんだ。
・静かな木
何も言わないこと以上に、大切なことを言う術がないときがある。
・独り立つ木
たった一本、このほどにも高い欅の気がそこに在るという、ただそれだけの爽快な事実。
・モディリアーニの木
モディリアーニの完璧な肖像画が、自然のつくった失敗作は人であることを、いつでも想起させるように。
・コンスタブルの樹
途方もなく大きく、途方もなく長い歲月を生きてきた樹なのに、なぜか途方もない懐かしさを深く感じさせる樹。
その樹の絵を見るたびに、覚えるのはある幸福な感情だ。葉の光。枝の影。渡っていく風の音、樹の下の静か
な時間。
・冬の日、樹の下で
何もないんだ。雲一つない。近くも遠くもないんだ。
幸福? 人間だけだ。幸福というものを必要とするのは。
・プルピャチの木
プルピャチという、遠いウクライナの、住む人のいない廃市・大事故になったチェルノブイリ原発直近の、すでに人は住むことはできない街
草木の、草木による、草木のための街。
樹は滅びない。草も。人のつくった街は亡んでも。
・老人の木と小さな神
存在がそのまま叡智であるような閑かさがあるのだと思う。古い古い大きな柿の木は、春には新しい葉を、夏には緑の影を、秋には赤く色づく実を、冬には雪飾りを着けた。