暇と退屈の倫理学 國分功一郎著 途中 |
・しかし、ここに不可解な逆説が現れる。人類が目指してきたはずの豊かさ、それが達成されると逆に人が不幸になってしまうという逆説である。
・「考えることが重要だ」と言うひとたちは、重大な事実を見逃している。それは、人間はものを考えないですむ生活を目指して生きているという事実だ。
・このようにものを考えるとは、それまで自分の生をみちびいてくれた習慣が多かれ少なかれ破壊される過程と切り離せない。
・性の快楽はこの安定した状態への復帰のためにあるのだ。
・ドゥルーズは自分がとりさわれる瞬間を待ち構えている。
・しかし、陛界には思とを強いる物や出来事があふれている。楽しむことを学び、思考の強制を体験することで、人はそれを受けとることができるようになる。<人間であること>を楽しむことで、<動物になること>を待ち構えることができるようになる。これが本書「暇と退屈の倫理学」の結論だ。
・マルクスは「自由の王国」の根本的条件は労働日の短縮であると言っていた。誰もが暇のある生活を享受する「王国」、暇の「王国」こそが「自由の王国」である。誰もがこの「王国」の恨本的条件にあずかることのできる社会が作られねばならない。そして、物を受け取り、楽しむことが贅沢であるのなら、暇の王国をつくるための第一歩は、贅沢のなかからこそ始まるのだ。
最後の文面から、贅沢ななにかということが問題になってきます。