紀伊国屋書店さん、創業者は知っていたけど、この方は知らなかった |
紀伊国屋書店・松原治名誉会長を悼む
松原氏が書店業界に与えた影響の大きさは計り知れない。もし松原氏がいなければ、全国主要都市に大型書店が出店する現在の状況は生まれていなかった。松原氏は「家業」に過ぎなかった町の「本屋」さんを、海外にもチエーーン店を持つ「書店」にしただけでなく、「産業」として育てた最大の功労者
だった。
未公開だった紀伊国屋書店全店の売り上げデータを「パブライン」で契約者に公開することを決めたのも、松原氏だった。重版の決定には、これが最大の判断基準になるというのは、いまや出版界の常識である。
新宿本店に紀伊国屋ホールを付設するなど書店に文化の香りをまぶしたのは、粋人として知られた創業者の田辺茂一氏だったが、書店を事業として拡大したのは、一九五〇年に紀伊国屋書店に入社以来、一貫して田辺氏の片腕的存在を肺て任じた松原氏だった。
松原氏をインタビューして目からうろこが落ちたのは、当時の紀伊国屋書店の売り上げの四割は大学相手の営業が占めているという話だった。
「いま日本には短大を含めると千二百近くの大学がありますが、うち約八〇%の学校が新しい学部や研究室、図書館をつくるとき、うちが本をお納めしているんです。まあ、知のゼネコンのような仕事ですね」。”知のゼネコン〃とは、胸鉄から紀伊国屋書店入りして書店を知識産業に育てた松原氏の人生を要約して絶妙な蜜えとなっている。 佐野眞一氏