岡田さんは、鋭いことをおっしゃる。 朝日新聞対談 |
度を落とさないといけないのかが表示でわかる。それぞれの技量と周辺の状況によって自己の判断で走る。
岡田 日本が何のために制限しているかといったら、国や官僚が責任をとらないで済むように。おもしろいことを言っている人がいて、官と民の間に公というのがあると。公というのは、例えば、火の用心の巡回。行政でなくて自分たちでやっていたことがどんどんなくなってきた。これは官の仕事だと全部
投げやって、それをする人間を選ぶ選挙権だけを行使する。自分の国、自分のものに対して、一人一人が責任を持つ覚悟がなくなってきた。いま恐ろしいのはりリーダーがいないといって、自分の責任を放棄していること。だからころころ首相が代わる。リーダーシップがないというけど、誰が首相をやってもああなる。
岡田 早大の総長だった奥島孝康さんが百本人は自由が嫌いというか、自由が怖いんだ」といっていた。自由は自分の責任ができて、責任を持たないといけないから、自由から逃げていると。いま、日本人は積極的に外に出ていかないでしょう。
大喜多 知り合いの音楽家が被災地でろうそくを使ってコンサートをやろうとしたらホールでろうそくは使えないと断られた。規則だろうけど、心を潤すためにやるので5本だけ置きたいといっても、だめだと。楽しむ心がないと、潤滑油として動かない。
岡田 ほんとに地球の環境を守りたければ、人間がいなくなるのが一番いい。でも、人間が人間たるゆえんは欲望があること。ダライ・ラマさんにお会いしたときに、怒り、憎しみがあっていいと言われた。でも、それをコントロールできないといけない、限度を知らないといけないと。人間はそれを忘れてどんどん爆発していく。どんなに科学が進歩しても、廃棄物を処理できる技術を持っていないなら原発を持ってはいけないんじゃないか。結局、環境はすべて循環。最終的には再生可能なエネルギーであれば、問題はない。原理主義的に環境に悪いものはすべてだめとなると、人間の存在自体がだめという極論になってしまう。