合理的に考えれば、TPP交渉に参加しない手はないが… |
今、気になってならないのがTPP(環太平洋経済連携協定)を巡る議論である。論理の背後にあるエモーション、そして、アイデンティティー、というちょっと違った観点も含めて、私見を述べてみたい。
論理的に考えると、TPPの交渉への参加というのは、当然なすべきこととしか思えない。WTO(世界貿易機関)での全体的なルール作りが歩みを止め、各経済陣営が仲間作り、言い換えれば、囲い込みに走っている中で、日本だけが置いてきぼりにされていいはずはない。
経済安全保障という観点からも、米国と日本が主要参加メンバーとなる枠組みをまず作り上げることが重要だ。これがあって初めて、資源国や新興国との議論に、(単独で臨むよりは)有利な立場で臨むことができる。
また、温暖化ガスの排出削減や国際会計基準などの場合と同様、ルール作りのところから参画することで、初めて自分たちの言い分をルールに反映させることが可能となる。できてから文句を言っても、後の祭りなのだ。
もちろん、農業を中心に、激変緩和の対策をきちんと取ることは不可欠だし、TPP参画が強い農業作りの大きなきっかけになる、という議論もあながち夢物語ではないように感じる。
ただ、いろいろな方と議論をしてみると、TPPを巡る問題は、論理の次元ではなく、感情(エモーション)の次元で、堂々巡りをしているように見えてならない。
現状維持から脱却する。特に国を開くという議論は、常にエモーションナルな議論を呼び起こす。過去の、海外からの直接投資自由化の際にもこれは起こったし、古くは、仏教伝来時にも鎖国前後にも、あるいは、ペリー来航以降にも、あったことだ。
― どういう感情がどこに存在するのか、ということを、表に出す。言い換えれば、エモーションの存在自体から逃げない。
― そのうえで、感情論に流されることなく、論理に基づいた議論に従った方が、国・社会全体としては「得」であること。一部の「損」になる層に対する手当てをきちんと行うこと。これらをはっきりと語っていく。
TPPの議論を奇貨とし、論理の背後に潜む感情を表出させ、我々が国としてのアイデンティティーを再構築、再確認すべきプロセスに進むのは、待ったなしだ、と考えるのだが、いかがだろうか。
大震災後の復興と合わせて、この問題は、じっくり皆さんの意見を出させて、出して、本当に何が必要なのか、そこのところをしっかり見極めないと行けないと思う。
この方が言われるように、単なる感情論で済ませては行けない問題だと思うが・・・政党の対応も、結局既得権益の強い団体に流されているだけだと思う。その点が哀しい!
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