日本の大転換 原発の超克と渾身の文明論 その2 |
・つまり、人間同士を分離するのではなく、結びつける作用が、社会には内在しているのである。このような社会の本質を、「キアスム(交差)」の構造としてとらえることができる。
・私たちが今日、「人間独自のもの」と考えている、愛情や道徳や義務の感情の多くの部分が、自然や他社とのこのキアスムの構造をつうじてかたちづくられてきた。社会というものを、このキアスム構造を抜きにして語ることは不可能である。
ところが、市場はそれとはまったく異なる原理で動くシステムなのである。そうなると商品となった品物は、交換されるのを待つただのモノとなる。
・津波と原発の事故は、私たちが抱え続けてきた大きな矛盾を、これ以上のものはないと思えるほど激烈なかたちで、白日のもとにさらした。日本文明はエネルゴロジー的に破綻しかかっている。がんばればなんとかなるというレベルは、とうに超えてしまった。危機の本質を知り抜くことによって、文明の大転換を試みないかぎり、日本文明は衰退の道へと踏み込んでしまう。
・太陽との直接的な対面のなかから、エネルギーを取り出す技術が駆使されることになる。
・太陽光発電のメカニズムは、原始的な植物のおこなう光合成のメカニズムに、驚くほどよく似ている。そこでは、植物が酵素の働きによって実現していたエネルギー変換が、半導体の働きによっておこなわれる、といところだけが違う。
・第八次エネルギー革命をリードしていく技術は、いずれも「太陽エネルギーを生態圏のなかに媒介的に変換するシステム」となるであろう。しかも、石炭や石油の場合とは異なって、地球に降り注ぐ太陽エネルギーを、大きな遅延なく、電気・化学エネルギーに変換できるシステムが、その主力となっていくことになる。
・太陽と私たちの生命との間に、交換関係はなりたっていない。太陽からの一方的贈与によって、私たちは支えられている。太陽光をはじめとする第八次エネルギー革命を構成する技術そのものが、この「太陽の贈与性」を、私たちにはっきりしめしている。
・①原子力発電という技術体系は、エネルゴロジーの構造において、致命的欠陥を抱えている生態圏の内部に太陽圏的物質現象を無媒介的に持ち込むその、技術思想は、今の人類の知識段階では、生態圏のなかで安全に運用することが、きわめて困難である。しかも、この技術体系は、自分のなかからうみだされる大量の放射性廃棄物を、安全に処理することができない。
②自然エネルギーの開発と普及は、原子力発電が生んだ第7次エネルギー革命の時代を、ゆっくり終焉に向かわせ、③第八次エネルギー革命は。経済活動に「贈与」の次元を回復することになる。
すなわち、エネルゴロジーの構造転換が、今後は経済の構造をも変えていくのである。
・私たちは、原子炉の設計思想のなかに、インターフェイス構造を否定する化学思考の、もっとも過激な表現形態を見出した。第8次エネルギー革命は、ゆっくりとそのような過激主義を変質させていくだろう。モダニズムの真の乗り越えは、ここからはじまるのである。
・このような大きな転換は、日本でこそ起こらなければならない。大地震と大津波のあとで、チェルノブイリと並ぶほどの原発事故を体験した日本人には、前方にそのような道が開かれている。
・日本文明は、ユーラシア大陸がみずからを太平洋に押し出してつくった「リムランド(周辺のクニ)」の列島上も形成されてきた。
・(日本の場合)外部の境界には、遮断力の強い壁ではなく、透過性のすぐれたさまざまなインターフェイスの仕組みが設けられた。
・火山が多く、地震にも頻繁に見舞われてきた日本列島では、自然力を外に押し戻したり、ブロックしてしまうのでなく、インターフェイスの機構をつうじて、媒介的に自分の内側に取り込む方法が、さまざまな分野で発達した。
・日本文明では重要な部分が、インターフェイスそのものとしてつくられてたのである。その典型を「里山」と呼ばれる景観の構造のなかに見ることができる。
・日本型資本主義は、リムランド文明にふさわしく、複雑なインターフェイスの機構として設計・運営されてきたのである。
・原発の開発とともに進んできた第七次エネルギー革命の時代は、ゆっくりと衰退への道に入っていく。それに替わって、生態圏の生成の原理にたち戻って、そこに別の豊かさを取り戻そうとする。それに連動して、経済の思想が根底から転換をはじめる。