養老孟司さん 「大切なことは言葉にならない」 その2 |
・文字に徹することは、じつは現実に対して徹底的に受身になることである。それがイヤになる人がいて、別に不思議はない。作品はテレビで、政治はテレビ・ゲームである。
それなら起こった出来事自体とはなにか。・・・出来事自体なるものを、われわれは知りえない。わたしはそう思う。
・正解は確かに存在しているはずだが、それには「近づくことしかできない」のである。そうした意味での謙虚さが、報道やノン・フィクションに欠けてきたことが、問題なのではないか。書いているほうの責任ばかりではない。読むほう、見るほうが正解がないと怒る。
・公平、客観、中立をいい、重箱の隅をつつき。他人の非を徹底して追求することによって、逆に世界を貧しくしてきたのではないか。
・戦前の日本政府と同じで、完全に石油に依存しているのに、それを認めようとせず、政府はただ省エネをいい、他方で景気回復をいう。景気を上げるなら、エネルギーを投入せざるを得ず、エネルギーを投入すれば、それこそ皆さんのお好きな地球温暖化ではないのか。
景気と石油消費は比例するのである。
・ともあれあれこれ考えるより、自然が出している答えをみたらいい。森の場合でも、それが結論だと、わたしは理解した。
・余談というしかないが、私は「自分にはその才能がない」ことほど、一生懸命にやる癖がある。だからなんとか人並みぐらいにはいくのだが、ある分野で「余人をもって代えがたい」という境地にならない。なにをやっても中途半端なのは、そのためではないかと思う。
・こういう人たちの場合には、要するに、主義主張が行動を制する。つまり基本的には意識がすべてを管理する。それが「原理主義」である。
・だからいまだに私は全共闘にこだわる。現にあったものだから、いうなれば仕方がないではないか。それならどうしてああいうことになったのか、それを考えるのが、同時代人の務めだと、強迫的に思っている。
・環境による自然選択を逆転すれば、生物に適合するように、環境のほうを変化させればいい。だから人は都市を創ったのではないか。それが思想の自由、言論の自由である。