養老孟司さん 「大切なことは言葉にならない」 |
・「さりがたき妻・をとこ持ちたるものは、その思ひまさりて深きもの、必ず先立ちて死ぬ」
愛情の深い方が、相手を思いやって、食物も自分の分を控えめにする。そうして先に死ぬ。
・多くの科学者は、公には認めたがらないが、科学の「アテにならなさ」を、すでによく知っているはずである。
・リアリティーという言葉の意味を、私は、以前から問題にしてきた。・・・・。しかし、私はこれをむしろ「真善美」などと訳すべきではないかと書いたことがある。
・現実はなにかを定義したことがある。個人でいうなら、その人の行動、すなわち脳から出力に影響するもの、それがその人にとっての現実だ、と。
・世間的に統一された見解のうち、いわゆる「現実的」にバカげた部分は、しばしばタテマエと呼ばれる。
・最初に述べた神とリアリティーの関係は、こう考えて、はじめてよう理解できる。まさに「神とは至高の現実」なのである。
・七十歳をこえて思う。人は変わる。ケガをしたって、病気をしたって、失恋をしたって変わる。それにつれて、現実も変わる。当たり前で、脳が変わらなければ世界が変わるのである。
・ただいま現在広く流行しているのは、温暖化狂想曲である。こうした動きは、現代の精神運動というしかない。ーーその後、温暖化問題は「人為的」だとばれてしまった。詳しくは、池田清彦の「新しい環境問題の教科書」でも読んで欲しい。
・先に結論を言うなら、人間は理性的ではない。だから宗教が存在する。「不合理なゆえに、我信ず」。
・人間はモノじゃないか、と唯物論者はいうであろう。人間は単純な物質ではない。じつは物質が構成するシステムなのである。川の水ではなく、川の水の流れだ、と考えればわかってもらえるだろうか。
・あくまでモノに徹するなら、温暖化への解答はやはり単純である。石油の販売量を前年度1パーセント減にし、翌年は2パーセント減にし、と漸減すれば良い。
・理性的でない存在を、理性で打ち消そうとするのは、矛盾でしかない。
・そのシステムを、単純な理性主義で扱おうとする傾向が、世界的に広まっている。だから私は宗教を論じたいと思ったのである。宗教はおそらくそうした傾向に対する安全弁として機能してきた面があると信じているからである。
・時間を経ても変わらないもの、それが「情報」だからである。
・ここではじつは三つの面が錯綜している。第一はモノ、第二はシステム、第三は情報である。モノがシステムも構成し、システムが情報化される。川を構成するのは水や川床のようなモノである。川はそれによって構成されたシステムの性質を持つ。人はそれに対して「鴨川」「利根川」という情報化をする。
・布施松翁の宇宙観には「唐繰」、つまり「からくり」が登場する。「おおからくり」の中に、世間も含めている。
「四方のけしきをながめつつつらつら思うに、渾然たる一気の機会(しかけ)にて何もかも滞りなく動く大自動装置(おおからくり)」
・生命倫理学という分野がある。でもそこには大きな欠陥が見えている。人間はできることはやるからである。やらないとすれば、相当の利益がないからである。
・都会人は予測と統御が成り立たない仕事を避ける。だから少子化なのである。こどもの将来なんて、じつは「どうなるかわからない」ものの典型ではないか。
・現代社会は言葉が当為といいう面で力を持ちすぎている。はっきりいうなら、文句を言えばすむと思っている。「こうすべきだ」「ああ、すべきじゃないか」。だから挙句の果ては、極端なクレーマー、モンスターと呼ばれる親や患者が出現する。