「長生き」が地球を滅ぼす 抜き書き その5 |
・さて、おまけの人生を、どう生きるのかを考えていきましょう。
◯疑問その一 ごほうびは当然か 老後はごほうびに価しない、ときっぱり思い切り、若者のサービスを当然のように受ける権利があると考えることはやめたいと私は思うのです。
◯疑問その二 体を動かさなければ体の半分(筋肉)は不幸になる、働いてこそ本当の幸せが得られるのだと考えられないでしょうか。
◯疑問その三 老後を自分のためだけに使っていいのだろうか?
定年を延長するなどということはやるべきではありません。そこは、人間。実際に子どもを産む以外にも、次世代になることはいろいろできます。
・子育てが終わるまでは、自分の遺伝子を広めるという利己的な目的がギラギラしていました。おまけの人生は、それが済んでしまった後の人生なのですから、もっと高い立場で他人のこと、社会のこと、次世代のことを考えることができるはずです。
「これこそが、もっとも人間らしい高貴な時間なのだ。利己的な考えから自由になり、次の世代のために、そして人類の未来のために何をしたらいいのかを本当に考えられるのは、このおまけの時期なのだ!」
・「借金していい船を買えば、儲かるのは分かっているさ。でも、そんなことをすれば、こうして飲む泡盛の味がまずくなる」
私たちは借金して「良い」暮らしをしています。エネルギーは子孫からの借金ですし、国はまさに借金だらけ、赤字国債の山です。このあたりで、借金して得られた「良い」暮らしを見なおさなければなりません。何が幸せか問いなおす必要があります。本書で考えてきた「生物学的時間」や「代謝時間」が、問題を見直す際の視点を与えてくれると私は信じています。
・道元の主著「正法眼蔵」の「有時」の巻において、道元は時間論を展開している。読んでみると、私の考えていたことが、そっくり書いてあるではないか。
時は飛び去っていくとものとのみ考えてはいけない、つまり古典物理学的なまっすぐに進んでいく時間の捉え方だけではいけないと道元は言うのである。
さらに彼は「尽力経歴」(力をつくすと時間が経めぐる)と言う。これはエネルギーを注ぎ込むと時間が流れるという、私の主張とぴったり合う。
・私たちは、時間の中に生きている。良く生きるということは、良い時間を生きることと言えるだろう。