スーパークールビズは革命なんだな 小田嶋隆さん |
これではダメだ。
本当なら、ニュースキャスターみたいな人たちが率先して、短パンでニュースを伝えないといけない。
そして、半ズボン経由のニュースを、われら視聴者は、嘲笑せずに受け止めなければならない。私たちにそれができるだろうか。
答えは、「革命的半ズボン主義宣言」という本の中に書いてある。私はこの本を、20代の頃に読んだ。著者は橋本治。初刷の発行は、1984年。1991年には河出書房新社から文庫版が出ているが、いずれも既に絶版になっている。Amazonを当たってみると、版元にも在庫がない。名著なのに。
というわけで、手元に実物が無いので、詳細ははっきりしないのだが、私の記憶しているところでは、本書は、「日本の男はどうして背広を着るのか」ということについて、まるまる一冊かけて考察した、とてつもない書物だった。以下、要約する。
1. 日本のオフィスでは、「我慢をしている男が偉い」ということになっている。
2. 熱帯モンスーン気候の蒸し暑い夏を持つこの国の男たちが、職場の平服として、北海道より緯度の高い国の正装である西洋式の背広を選択したのは、「我慢」が社会参加への唯一の道筋である旨を確信しているからだ。
3. 我慢をするのが大人、半ズボンで涼しそうにしているヤツは子供、と、うちの国の社会はそういう基準で動いている。
4. だから、日本の大人の男たちは、無駄な我慢をする。しかもその無駄な我慢を崇高な達成だと思っている。暑苦しいだけなのに。
5. 実はこの「やせ我慢」の文化は、はるか昔の武家の時代から連綿と続いている社会的な伝統であり、民族的なオブセッションでもある。城勤めのサムライは、何の役にも立たない、重くて邪魔なだけの日本刀という形骸化した武器様の工芸品を、大小二本、腰に差してして出仕することを「武士のたしなみ」としていた。なんという事大主義。なんというやせ我慢。
6. 以上の状況から、半ズボンで楽をしている大人は公式のビジネス社会に参加できない。竹光(竹製の偽刀)帯刀の武士が城内で蔑みの視線を浴びるみたいに。なんとなれば、わが国において「有能さ」とは、「衆に抜きん出ること」ではなくて、むしろ逆の、「周囲に同調する能力=突出しない能力」を意味しているからだ。
以上は、記憶から再構成したダイジェストなので、細かい点で多少異同があるかもしれない。話の順序もこの通りではなかった可能性がある。でもまあ、大筋、こんな内容だった。
橋本氏の見解に、反発を抱く人もいることだろう。極論だ、とか。自虐史観だとか。しょせんは局外者の偏見じゃないかとかなんとか。
でも、私は鵜呑みにしたのだな。なんと素晴らしい着眼であろうか、と、敬服脱帽いたしましたよ。ええ。
だから、一読以来、私の考えは、こと背広については、橋本仮説から容易に離れることができない。
そういう目で見てみると、スーパークールビズは、興味深い試みだ。
もしかすると、これは日本のビジネスの世界を根底から変えるかもしれない。
「革命的半ズボン主義宣言」の最終的な結論は、タイトルが暗示している通り、「半ズボン姿で世間に対峙できる人間だけが本物の人間」である旨を宣言するところにある。