福島原発と女川原発、明暗を分けた立地の差 |
女川原発は昭和53年の宮城県沖地震後の59年に運転を開始。東北電力によると、三陸沖地震津波や宮城県沖地震の経験から津波想定は高さ9・1メートル、耐震設計は580ガル、半径5キロ以内に活断層がない-などの地盤条件も含めた総合的な判断で現在の場所に建設されたという。
固い岩盤上にある主要施設は海面から14・8メートルもの高さだった。地震の揺れは想定以下となる567・5ガルにとどまり、消波ブロックと芝生の斜面に阻まれた津波は主要施設に達することはなかった。「設計段階の津波と耐震の条件を満たした立地が津波被害を阻んでくれた」(東北電力)
震災後の停電はなく、水の備蓄もあったため、女川原発は津波で壊滅的被害を受けた女川町民の救いの場所になった。原子炉等規制法で一般住民は許可なく原発敷地内には入れないが、人道上の配慮から開放され、最大で330人が事務建屋の別館と体育館に避難した。
東北電力は「今後も要望があれは避難所として開放したい」と話している。
(石田征広)
2011.03.24 22:32 産経新聞
JPN_LISA
震災の被害がなく安全だった女川原発に住民が避難している事実がやっと記事になった。地震直後から私は地元町作り仲間情報としてこの事実を呟いたが、誰も信じてくれなかったんだよ。反原発厨からはバカ呼ばわりされたしな。【女川原発は被災者の避難場所に】 http://ow.ly/4lT4l
約6時間前 HootSuiteから