こういう時こそ、冷静にならないといけないと思うが、その2 |
被災者保護 車等は被災地に行けるのであろうか?
そして、復興ということになります。
防災無線 これも機能しなかったということ 津波で電気系統がやられたし、電気が来ない
孤立するという状況が想定できなかったですね。
食料とかを、備蓄しておいても、津波で流されれば、なんの役にも立たないということになります。
南三陸町の防災センターも、考えた上で3階建ての建物にして、その屋上に逃げていた、数十名の方が津波にさらされ、10人程度が手すりに捕まって難を逃れたそうです。
3階建ての屋上といえば、10メートルぐらいはあるでしょうから、それを越えた津波。
想像しにくいですね・・・写真を追加
復興する際の基準として、1000年に一度の規模に備えるのか?
それとも、現在程度の防災レベルにするのか、難しいところである
しかし、思い起こせば、戦後の復興も、そして阪神淡路大震災も乗り越えてきた日本国民である。
力を合わせれば、復興は出来ると信じています。
阪神淡路大震災は、
1995年(平成7年)1月17日午前5時46分52秒(日本時間=UTC+9)、淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として発生したMj7.3[1]の大地震。
死者:6,434名 行方不明者:3名 負傷者:43,792名
死者の内訳は、兵庫県内6,402名(99.5%)・兵庫県外(大阪府、京都府など)32名(0.5%)
この地震の規模をはるかに超える被害が予想されます。
なくなった方には、おくやみ申し上げます。