日本辺境論 その2 ベストブックにもなるわ! |
・「国際社会はどうあるべきか」という種類のイシューになると、日本人は口を噤んでしまう。人種や信教や言語や文化を超えるような汎通性を持つような「大きな物語」を語る段になるとぱたりと思考停止に陥る。
・一歩踏み込んだメッセージを発しうるためには被害事実だけでなく、あるべき姿についてのヴィジョンが必要です。
・経験的に言っても、「国民的規模での無知」が政府の管理によって達成されることはないからです。人々が無知であるのは、自ら進んで情報に耳を塞ぎ、無知のままでいることを欲望する場合だけです。
・「東洋の平和と進歩とを担保して、人類の文明に貢献し、正当な優勢を持して長く世の畏敬を受く」るような国なったら、それはもう日本ではない。日本国民の過半は無意識的にそう判断したのです。
・その人たちの身銭を切った実験の後、累々たる思想的死骸の上に、はじめて風雪に耐えそうなタフな社会理論が登場してくる。それがことの順序です。
しかし、日本史上には、そのような事例を見つけることは極めて、ほとんど絶望的に困難です。幕末から後で、自分の言葉であるべき社会像を語り、それを現実に繋げ得たのは坂本龍馬の「船中八策」くらいでしょう。
・「世界標準に準拠してふるまうことはできるが、世界標準を新たに設定することはできない」それが辺境の限界です。
・日本を「ふつうの国」いしようと空しく努力するより(どうせ無理なんですから)、こんな変わった国の人間にしかできないことがあるとしたら、それは何かを考える方がいい。その方が私たちだって楽しいし、諸国民にとっても有意義でしょう。