小林秀雄さんのCD講演 |
講演を聴く前までは、こんなに分かりやすい話し方をするとは思っていませんでした。
肉声で聴いて初めて、「脳と仮想」も分かってきたような感じがしました。
柳田国男、83歳の時の口述筆記
今日のインテリゲンチアは、非常に無責任。
信じるということは責任を取ること。もちろんDVD、自分流に考えて、だから、間違えることもあります。
でも責任をとればいいです。
自分で責任がとれないから、集団的になるのです。だから、ペンクラブのです。
集団は責任を取りません。
科学は、浅薄なんです。物質も扱いにくくなっている。波とか粒子とか、
スプーンが、曲がったなんておもちゃみたいだ。
僕の意識、応接している心、心の中に、すべてがある。僕の財産ですよ。心こそが、実在
僕の直接の経験し、
信じるということは危険なんです。
本居宣長は、異常なぐらい物知りを嫌った。物知りというのは、今で言うインテリです。インテリは自分の都合のいいことしか考えない。
ジャーナリズムは、インテリの言葉しかのせません。
いろんな神がある。神とは取引が、ある。僕のいうことを願っている事を聞いてくれないのは、神ではない。
それでいいんです。そういう神様しか書いてない。
ベルグソンは念力のことを書いています。
立派な学者であればあるほど、方法の虜になっています。現象に目をつぶってしまう。正しいか正しくないかに変わってしまう
経験に、主幹も却下もないんです。切実な経験は、時間の経験。痛いというのと同じ。
経験科学という言葉は非常に紛らわしい。最近の過去は、風潮なんです。
科学は、理性でないし、方法です。
こういうことをベルグソンは言っている。長いこと信じられていた人間の脳
と精神との平衡関係を、私は最初から疑わしいと思った。あるひとつのものが、
かたっぽでは脳髄の原子の運動に翻訳されて表現される ...
魂はあるかいないか、あるにきまっているじゃないですか