やがて消えゆくわが身なら 池田清彦著 終わり |
・学校で何かの事件があると、すぐに「心のケア」なることばが語られ、臨床心理士なる国家資格をもったペテン師たちがやってくる。余計なお世話ではないか。自分で悩み、傷つき、試行錯誤をくり返す以外に、心を癒す方法などはない。他人の心を癒せると思うのは、傲慢ではないか。
・個性や多様性が叫ばれて久しいが、清く正しく美しくの中だけの多様性じゃしょうがない。何といったて現実は、狡く醜くいかがわしいんだから。・・そして、すべてマイナーな者たちに栄光あれ。
・身も蓋もない私の主張に対する曲解や反論を読むと、人が死守しようとしているのは結局は己の情緒であって、論理や理論でないことがよくわかる。
・自分たちの情緒のみが正しいという思い込みが、この世界のすべての不幸の源泉である。自分の情緒から判断して可哀想な人を助け、なまいきな奴をやっつけようという思い込みから、すべての戦争は始まったのだ。
・でもね、抵抗する側はいつも正しくて、抵抗される側はいつも間違っているなんてことは論理的にあり得るはずはないのだ。
・諫早湾干拓のせいだとマスコミを挙げて大合唱している有明海の荒廃は、実のノリ養殖業者のノリ網殺菌のために使用する有機酸が最大の原因なのだという。江刺 洋司著「有明海はなぜ荒廃したのか」
・私はどんな小さな悪事も見逃さないで闘え、などと主張しているわけではない。気に入らないことがあったなら、せめて、ぐずぐずして多勢に加担しない選択肢もあるよ、と小さな声で主張したいだけだ。
・たとえばガンになる。手術で失敗する確率が何パーセントかあると告げられても、根治法は手術以外にないと言われると、多くの人が手術に同意してしまうのは、手術をしないでぐずぐずと中途半端に生きるのが、苦しいからだ。苦しいのは身体でなくて脳である。
・ぐずぐずと生きることに耐える脳を作ってやれば、脳もその中で新たな快感を見出すかもしれない。
・浮浪者がいたって、酔っ払いがいたって、娼婦がいたって、別にいいじゃないか。世界が滅びるわけではなし。