有馬稲子さん 私の履歴書 |
何より自分の生活に自分で責任をもつという体験は貴重だった。女優というものは、頑張ったつもりでいても大事なことはすべて人まかせ、新横浜の駅で初めて自分のための新幹線の切符を買ったとき、いや買えたときは、大げさではなく自由とはこれかという気がした。
年をとってから友人をつくるのは難しいのではと言われたが、まったくの杷憂、社会の体験豊富な同居者の皆さんは、それだけで素晴らしい人材の宝庫で、前の住まいから持ち込んだ鉢植えのバラが引っ越し疲れでぐったりしたのを、見事に蘇らせてくれた人が、友人の第1号となった。廊下ですれ違うときは誰もが穏やかに言葉萱父わす、そんなことがこれほど心を慰めようとは思ってもみなかった。
ある雑誌で読んで、NHKの朝のテレビで話して驚くほど大きな反響をもらった先人の言葉がある、「夏羽織一枚を残して死ぬ」。つまり人の一生はほぼプラスマイナスゼロ、わずかに夏の羽織一枚を残す程度に終えるのが理想だという意味なのだ。もちろん、いま私はこれをたいせつな指針としている。 (女優)
このように気がつく人はまれだろうな・・・・