危険不可視社会 畑村洋太郎〈著) 書評から |
なぜ、日本では原発への強い不信感が強いのか・内部では危険性を認めて安全対策に取り組むが「外向けには「絶対に安全」と建前をいう原発側の「二枚舌」が原因としつつも、彼らに本音をいわせない。安全絶対視の社会のいびつさも俎上に載せる。その視点に著者の目指す危険学の意味が表れる。
「危険に関する情報や知識を社会の共有財産にする」。そのため、社会のどこにどんな危険があるか、「危険地図」で可視化し、危険の避け方は自分で考えさせる。
そうしないと公園からも「危険な遊具」が排除され、子供たちは免疫力を失っていく。「子供から危険を奪う社会」であってはならないというメッヤージが痛烈だ。 (講談社・1575円)
そうなんですよね、生きていることが危険のもともとの原因なんだから、絶対安全なんてありえない、安全基準を高めるても、これからはコストだけが高くなって、生きにくい夜の中になるだけだとおもう。「危険が潜んでいる」と自覚することが、一番の安全対策だと思われる。