恥をさらして得る安らぎ |
でも「こじきのようで恥ずかい」という思いは、なくなっはいません。
修行が壷と言いながら、月末になれば、家賃のために托鉢ている気持ちになります。残りの米が少なくなれば「やばいな」と思ってしまう。お金がないと生きられないという事実からは逃げられない。受けて立って、常識や世間体を気にしないように努力するしかありません。
それが、私の修行です。暮らしやお金などの現実に流れまう自分を戒めること。お金にこだわれば、自分の安らぎがげていくんだと。
しかし、昔、家族や生活を放り出して修行の道に入ったそうですが、家族はどうされているのでしょうか?