本番に弱い日本人 |
昔から、「日本人選手は、なぜ本番に弱いのか?」ということがよく言われてきました。練習や予選では高記録を頻発する選手が、本番の決勝になると、あえなくは敗退してしまう。そんな俗説がありました。
この俗説には、脳の働きから見ると、はっきり根拠があったのです。それを林さんは、水泳で競争している選手の脳の働きを調べて見つけました。
選手たちは、「あと10メートル」といった具合にゴールが見えた状態になると、意識下においては「よし、がんばらなければ」と思い、意識してスピードを上げようとする。ところが、面白いことに、無意識下においては、ゴールの存在を認識した時点で「ああ、もうゴールについた」と感じてしまい、脳が身体を刺激する報奨系の回路が閉じて、身体の動きが結果として、ぎくしゃくしてしまう。プールの上から観客として眺めてもはっきり分かるくらい、泳ぎのリズムが崩れてしまうそうなのです。
結果、最後の10メートル、意識下ではラストスパートをかけているつもりなのに、逆に身体の動きはバランスを欠き、かえってスピードが落ちてしまう。
これは、昔から武道などでは言われていたことですね。すなわち、身体の動きというのは「無意識」でできるようになって、初めて達人の域に達するわけです。
芥川龍之介が『侏儒の言葉』の中で、「百里の道は、九十九里をもって半ばとす」という故事成語を取り上げているのを思い出しました。スポーツ選手にとってゴールまでの残り数メートルは、九十九里から先の、とても遠い「あと一里」にあたるわけです。なぜ、そんなに遠いのか。それはゴールを意識していまい、頑張ってしまうからです。
スポーツにとって、最後のラストスパートはいわば苦行です。けれども皮肉なことに、ラストスパートをかけようと「意識してしまう」と選手当人が苦行の形相でがんばると、身体のポテンシャルは逆の方向に向いてしまい、スピードが落ちてしまう。力が出なくなってしまう。これが、「日本人選手は本番に弱い」という俗説の正体、というわけです。
かつてマラソンでは、日本人選手の多くが、42キロあまりを走ってゴールについた瞬間、コーチの腕に倒れ込んだものです。選手たちは42キロ走って、身体的に限界に来たから倒れ込んだわけではありません。体力的にはまだ何十キロも走れるはずです。なのになぜ倒れるか。あれはまさにゴールしたと同時に「心が折れた」状態になったわけです。まさにゴールを「意識してしまった」結果、ぽきりと折れるように地べたにはいつくばる。
昨今、マラソンで活躍する日本人選手たちは、ゴールしたあとも実に朗らかな顔をしている。
最後の遠い一里をものともせず、平常心で、無意識のうちにゴールを通過する選手たち。最近の日本のトップアスリートの強さは、こうした脳科学の側面からもはっきり見てとれるわけです。
オリンピックのような超人たちの戦いだからこそ、こうした人間の身体の秘密が見えてくる。長年、脳と身体のことを考えてきた私にとって、とても得心のいく話です。
話としては、面白いが、ちょっと理解が出来ていないかな?