<小沢代表辞任>「世論調査で流れができてしまった」 |
代表辞任表明は電撃的だった。11日午後2時20分、参院議員会館の自室にいた副代表・石井一に電話がかかった。小沢一郎からだった。「申し訳ないが、ぴんちゃん、腹を固めた」
「困る。なぜだ」と言い返した石井は1969年衆院初当選で、小沢と同期。参院議員会長・輿石東、参院議院運営委員長・西岡武夫らとともに熱烈な小沢続投支持メンバーの一人だ。
小沢は「情勢を考慮したが、報道各社の世論調査で流れができてしまった。辞任という身の処し方をした方が総選挙にプラスだ」。石井は「気にしすぎだ」と翻意を迫ったが「熟慮の末の決断なのですまん。身を引いて全力で政権を取る。政権交代は必ず実現させる」と言って電話を切った。
小沢の辞意を伝えるNHKの速報テロップが流れたのが午後3時ごろ。小沢、石井と衆院初当選同期ながら、小沢の早期辞任を求めていた最高顧問・渡部恒三は国会内の衆院予算委員会室後方の席に座り、代表代行・菅直人と話し込んだ。
記者団に「まさに賢い立派な決断をしました」と笑顔で語る渡部。しかし、菅の心境は複雑だった。菅も小沢に早期辞任を促したことがある。
その小沢から菅の携帯に電話が入ったのは速報が流れて30分後。「一致結束してやってもらいたい」と手短な電話だった。石井よりも約1時間以上も遅れての通告は、小沢の菅に対する「意趣返し」とも受け取れた。
もう少し、早く、辞任していたら、ここまで民主の支持率は下がらなかったのだろう!
しかし、今後が難しいな・・・鳩山さんでは、選挙は戦えない、岡田氏を選ぶことが出来るかどうかで、決まってくるだろうな・・・
岡田、前原を育てられなかった付けが、ここで露呈しなければいいのですが・・
こんにちは。小沢代表、辞任を表明しましたね。私は、政治献金問題でもあれだけ突っ張って居残ったのですから、その延長線上で小沢氏はいわゆるダークヒーローを目指すべきだったと思います。それが、民主党を躍進させる唯一の道だったかもしれません。しかし、これを民主党の尻軽、軽薄幹部は理解できなかっのだと思います。今後、民主党の建て直しは大変だと思います。詳細は是非私のブログをご覧になってください。