これも、驚き、桃の木、山椒の木ですね!! |
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2019年 02月 17日
あのトランプさんを、ノーベル平和賞推薦!!
理由は、我が国の上をミサイルが飛ばなくなったって・・・・ あまりにも、矮小な理由だな・・・でも、そのぐらいしか思いつかないか。
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by nandemokoukisin
| 2019-02-17 22:06
| 気になった論、ことば
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2019年 02月 17日
う〜ん、なんで、沖縄に皆さんは無関心なんでしょうか?と言って、私が何をしているかは、疑問です。
でも、とりあえず、このような記事を、投稿するしか、わたしには出来ませんものね!
24日の投票、気になりますよね〜 昨年は明治維新150年。今年は、琉球王国が解体されて沖縄県が設置された年から、つまり、沖縄が近代日本国家に組み入れられてから140年です。 日本の近代化の動機は「攘夷(じょうい)=外国を追い払うこと」でした。ペリーの米国艦隊が浦賀に現れ、攘夷論が吹き荒れます。でも、列強と戦う力がない。だから「富国強兵」が明治日本のスローガンになります。長大な海岸線を守りきれないから、外に「防波堤」が必要ということで、手始めに併合されたのが琉球でした。力をつけると、今度は韓国を併合し、次は旧満州。東南アジアにも出ていって、ついに米国と衝突しました。 太平洋戦争末期の沖縄戦。作戦を立案した陸軍参謀に戦後インタビューしましたが、彼は戦闘を長引かせた結果、県民の4人に1人が亡くなったことについて、全く悪びれていませんでした。当然なんです。本土決戦の時間稼ぎのための「防波堤」なのですから。 歴史小説家の司馬遼太郎さんと昔「日本人の精神はいまだに攘夷だね」と一致したことがあります。外国との付き合いが下手で、領土問題に過敏。たとえば尖閣諸島を守るためには、沖縄に米軍基地の重い負担を負わせても仕方がないと考える。今も「防波堤」の発想です。 100年ほど前の夏目漱石の小説に、ロシアの極東進出をやたら恐れる「恐露病」という言葉が出てきますが、今は中国を怖がる「恐中病」といったところでしょうか。 沖縄戦で全滅した海軍守備隊の司令官が、最後に東京に打電した有名な言葉があります。「沖縄県民斯(か)く戦へり 県民に対し後世特別の御高配を」。なのに私たちは今も、沖縄を犠牲にし続けている。辺野古の映像を見るたび、いつもこの言葉を思い出します。 #
by nandemokoukisin
| 2019-02-17 21:04
| 気になった論、ことば
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2019年 02月 17日
今週は、なかなかの傑作ぞろい!!特に、「子の心親知らず」と「うちのお父さん」が面白かった!!(笑)
◎相撲ファン 手術後の夫とHCU(高度治療室)で面会。家訓が,お疲れ療、頑張ったね」と声をかけると、酸素マスクの中で何か返事した。よく聞くと「稀勢の里は勝った?三嶽海は?」。本場所中ですものね、それが心配でしたか! (仙台市・やっぱり気になるのは……・・70歳) ◎子の心、親知らず 90歳の母。月2回の病院通いはタクシーを使う。久々に実家を訪問し、私の車で病院に送った。帰宅してお礼を言わわれると思いきや、「お前の運転は危なっかしいし音楽はうるさい。ドアり自動で開かない。タクシーの方が楽だ!」 (茨城県目立市・自称孝行息子・61織) ◎アルアル詐欺 ママ友との会話。私「うちの旦那、結婚前は身長166㌢と言ってたのに、こないだ健康診断の結果見たら163㌢やってん。15年間だまされてたわ」。ママ友A「身長アルアル詐欺やな!」。ママ友B「うちなんて、貯金アルアル詐欺やで!」。一同大爆笑。 (大津市・愉快なママ友たち・43巣) ◎子ども大好き学級閉鎖 インフルエンザの季節。小2の息子のクラスは元気で何より。しかし他のクラスが学級閉鎖になり出すと、息子が「いいな!。ずるい」。私は「でも自分がなったら、つらいよ。みんな体強くてかっこいいね!!」。親の立場で今はこう言うけど、私もかってはそう思ってたよ(笑)。 (川崎市・明るいママ・41歳) ◎うちのお父さん わが家の居間には家族写真が所狭しと並んでおり、子どもの成長とともに夫の体格が変化する様子もよくわかる。先日、娘(8)が写真を見ながら一言。「ねぇ、うちのお父さんってずっと同じ人?」 (さいたま市・素朴な疑問・44歳) #
by nandemokoukisin
| 2019-02-17 13:41
| たまにはジョーク
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2019年 02月 17日
安倍さんの「悪夢」発言がありました。
取り消してくださいと言われましたが、「表現の自由」ですから、撤回しませんと言いました。 一国の首相が、「表現の自由」という言葉を使うのも、品がないような気がします。 #
by nandemokoukisin
| 2019-02-17 09:06
| 気になった論、ことば
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2019年 02月 16日
お気楽本で楽に読めると思っていたら、壮絶なアトピーとの戦いや、家族との諍い、お父様は高野山の偉い人のようです、離婚等を経験した上でたどり着いた境地であります。
社会不適合者と言われていますが、今までの活動状況を見ていると、そんなことは、決してないとおもいますけどね〜 結構、器用な人で、お寺のリフォームもこの車のしフォームも、インターネットで調べながら、きれいに仕上げています。 大したものだと思いました。 彼が受けた職務質問の厳しさにはちょっとびっくりしますね。 <抜書> ・あらゆるものを捨てて、残ったものは、車1台とこの身1つ。そこには、究極の自由があった。 ・それでも、毎日が楽しい。なぜだろう?「生きている実感」があるからだ。 ・隠遁者の孤独と憂鬱。忙殺される日々からの脱走。ここには、締め切りの督促もなければクレームもない。男には、世間から隔絶され.家族からも離れて、1人になる時間が必要だ。 ・自分でコントロールできることが、いかに少ないことか。世の中が便利になった分、複雑になりすぎて、かえって不便んになっているようにも感じる。車中泊生活は自己完結しているので、そうしたストレスもない。その反面、誰も助けてくれない。 ・そんな車中泊生活がなぜ成立しているのか、理由は三つある。1つ目は、今まで説明してきたように、車中泊生活にはお金がかからないこと。2つ目は、ぼくは働くのがあまり好きではないということ。3つめは、僕の職業。今までちゃんと説明してこなかったのだが、ぼくは高野山真言宗の僧侶だ。車中泊生活をしながら、僧侶としての仕事をして生計を立てている。 ・ミニマリストは一様に、所有するモノの数を減らす分、そのモノの機能や品質にはとことんこだわる。その姿勢には僕も共感する。 ・気に入ったものを大切に扱って、可能な限り長く使う。壊れたときは修理する。 ・自分のライフスタイルを見直すポイントは、3つある ①必要な必要なものを、必要なときに、必要なだけ。 ②自分の仕事や交際範囲をわきまえて。 ③本当に必要な人とものだけ、ていねいに付き合う。 ・旅の途中、インドの大都市ムンバイを訪れたときのこと。瞑想道場があったので、10日間の瞑想合宿に参加した。そこで行われていた「ヴィパッサナー瞑想法」は、2500年前にお釈迦様が行われた瞑想法だと聞いた。「ヴィパッサナー」とは、気づく、観察する、といった意味。合宿中はただひたすらに、呼吸や体の感覚をあるがままに観ることが求められた。 *「ヴィパッサナー」とは、対象をあらかじめ1つに限定することなく、その瞬間瞬間に生じてくるものごとをありのままに自覚化することを繰り返しながら、洞察を育んでいく方法だ。ブッダは出家後、二人の師につきサマタ系瞑想()を最高度に極めたが、なおも究極的な安らぎは得られず、その後自らが試みたヴィパッサナー系瞑想によって解脱・涅槃に至ったとされている。 *「サマタ」はマントラやイメージなどの対象に意識を繰り返し向けていくことで安定した集中力を培うことを目指す。 ・10日間の瞑想合宿を終えたころ、僕の体に異変が生じた。あれほど痛みと痒みに苦しめられ、死の1歩手前だったのが嘘のように、アトピーの症状が消えてしまったのだ。僕の体と心に、一体何が起こったのだろうか。 ・忖度抜きで、おかしい時にはおかしいと言える自由な立場が欲しい。そのためには、自立していなければならない。依存すると、自由がなくなる。から定住や就職をせずに、車中泊生活をしている。 ・でも僕には、誰も出来ないことができる。1年を通して車中泊生活ができる。車を改造して家レベルの快適さにできる。自分で工夫し、多少のへこみや故障なら、自分で修理することができる。おいしいコーヒーを淹れることができる。前衛的な護摩法要ができる。・・・・・皆ができることができなくても、何か1つでも特技があれば尊重してもらえる。誰でも得意不得意があり、それが個性だ。横並びにならなくていい。それぞれの特技を活かし合えばいいのだ。 ・だから僕は「普通」や「常識」を大上段に振りかざす人のことを信頼していない。時に、「普通」や「常識」は人を排除する。特に、努力して「普通」にあわせて生きる人に、その傾向は顕著だ。 ・人生は1度しかないのだから、自分以外の誰かになっても仕方がない。自分でないまま一生を終えるなんて、人生に失礼だろう。社会のなかで生き生きていくのがしんどいなら、逃げてもいい。前向きに逃げるガゼルを嗤う奴は、ライオンに喰われて死ねばいい。己を肯定せよ。自分の命を投げ出すくらいなら、命以外のすべてをなげだしてでも、生きるべきだ。 #
by nandemokoukisin
| 2019-02-16 22:59
| 読書ヒストリー
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2019年 02月 14日
名前も活動も、胡散臭いと思っていた方ですが(失礼)、「あん」の原作者としって、へえ〜と
本当に大切なものは、目に見えない、
深夜放送による、若者との人生相談も、今考えれば、考える場、思考の場で良かったんじゃないか、対話することが大事なんじゃないか。 批判し合うんじゃなくて対話、 対話は、キャッチボールの中でしか、存在できないんじゃないかって、 対話は、○か、△か、□か分からないけど、続けていけば、価値がある。根絶やしにすることが×なんです。 仲間の薬物事件もあって、バッシングの嵐、日本に居られなくなって渡米、そして、帰ってきても仕事はなかった、本も売れなかった。 そんな時、自転車に乗っていた時に、後ろから沢山咲くコスモスが話かけてきたように思えた。 「人間社会はだめだけど、わたしたちコスモスは、応援してますよ」って。 自然界は何をみても面白いです、それを見るために生まれてきたようなもんです 「今日は星がきれいだったな」とか、何かを感じたことは、人生の一部、感じたことは大きなこと 積極的感受 ここに存在すること、 「あん」の中から、そこからの抜書がありました、 「私はあの森の道で、本当にただ一人で月と向かいあっていたのです。 すると私はたしかに、聞いたような気がしたのです。月が私に向かってそっとささやいてくれたように思えたのです。 お前に見て欲しかったんだよ、だから光っていたんだよ、って。 その時から、私にはあらゆるものが違って見えるようになりました。 私がいなければ、この満月はなかった。木々もなかった。風もなかった。 私という視点が失われてしまえば、私が見ているあらゆるものは消えてしまうのでしょう、 私たちは、この世を見るために、聞くために生まれてきた、この世はただそれだけを望んでいた」 これは、最近読んだ、唯識論ですね、「一人一宇宙」とは、このことをいうのではないでしょうか? #
by nandemokoukisin
| 2019-02-14 14:21
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2019年 02月 14日
思っていた本と大分違いました。
レシピ本をマスターしてレシピナシで料理を作ろうという類の本かと思っていましたが、そもそも、おかずも作らない、こんな衝撃的な本です。メシが美味しい、他になにがいるみたいな、食革命みたいな本です。衝撃的です。 旅館の夕食より、朝食のほうが定番だけどおいしく満足度が高いと言う指摘は、目からウロコです。稲垣さんは、なかなかの人だなーと改めて見直しました。ーーー確かに、そういうところありますね、夕食のこれでもか、これでもかというご馳走は感謝なんですけど・・・それを、残しちゃ悪いと思うのでついつい、その結果が、 そしてよくよく考えるとしあわせ半分、苦しさ半分・・・・・ これは土井善晴さんの一汁一菜にも通じる考え方かなと思いました、それを、なんか思想的に補完したというか? ただ、稲垣さんにわかるおいしさが、私にわかるかどうか、それが心配です。 <抜き書き> ・そう「幸せ」って結局のところ、日々おいしいもの食べられるということなんじゃないでしょうか?そして私は、何は無くとも、高額のお金も、広い台所も、華麗なる調理道具も、特別な技術や才能も、そうそのいずれもなーんにもなくたって、自分が心から美味しいと思う食事を、誰に頼ることもなく、超短時間でウッシッシと作り、生涯にわたって延々と食べ続けることができる。そんな自分を作り上げることにまんまと成功したのです。 ・何の手間もお金もかけずとも、実は何の苦労もなく「食っていく」ことができるんですよ。しかも最高にうまいものが。 ・だってよくよく考えたら、人間とは日々うまいものさえ食っていればもう相当に豊かに機嫌よく生きていけるのです。これを言い換えるとですね、人が生きていくために必要なものなんて、実は全然大したことないってことに遅まきながら気づいてしまったわけです。 ・こうして私は50歳にして「稼がねば」という無間地獄からついに脱出したのです。自由を得たのです。いや本当です。なんたって一食200円、余裕をとって月に2万円あれば十二分に食っていける。月ニ万円ですよ。 ・だって何よりも一番美味いのが、まさかの「メシ」なのです。ただのメシ。そしてその美味しさを最大限にひきたてるのがまさかの味噌汁と漬物! ・そういえば旅館も朝食のほうがうまいのだ。(夕食)おいしいとかまずいとか言う以前に、あれだけスター級の「主役」が入れ代わり立ち代わり際限なく出てくると、もうどこで何を食べたのやらほとんど覚えていない。・・・・そしてよくよく考えるとしあわせ半分、苦しさ半分・・・・・ ・だって旅館の朝食ってどこも代わり映えしないからね。パンフに載せたって「差別化」につながらないというわけだ。でも、ふと思い返してみれば、誰もがそんな朝食をかなりご機嫌よく食べている。「なんだよ、また同じメニューかよ」なんて文句を言う人ひとはみたことがありません。ところが「お夕食」は、すべてがその対極にある。 ・つまりこういうことなんじゃないだろうか。豪華なものは飽きるのだ。つまりは、「美味しすぎるもの」は飽きるのである。 ・ということはですね、 現代人が「 毎日違うもの食べたい」 と思い、 だからこそ家族の台所を預かる人間が毎日違うものを作らねばと来る日も来る日も多大な努力を払い続けているのは、 もしや結局のところ「 美味しすぎるもの」 を毎日毎日頑張って作り続けているからじゃないのだろうか? ・それ以外の料理、つまりはご飯と味噌汁なんて言うのは、「料理」とはとても言えないシロモノなんだと一段下に見るようになった。 ・もしかすると、私たちは頑張りすぎたんじゃないだろうかと思うのだ。 ・いま私たちに必要なのは、「食の断捨離」である。・・・・食だけが忘れられていないだろうか。それはきっと、食事をシンプルにすることは、暮らしを貧しくすることだと誰もが思い込んでいるからだ。 ・美味しいものとはもしかして、どこかにあるんじゃなくて、すでに自分の中にあるものなんじゃないか。そう思ったら、実に心が落ち着くのです。私に足りないものなど何もないのだから。これはもう一つの悟りといってもいいのかもしれません。 考えるな。感じろ。by ブルースリー ・おかず?作れますけど作りたくないのだ。何しろこれほどの美味である。そしてこの「炊き立ての日」は3日に一度しかない。非常に貴重な日なのである。 ・メシ、汁、漬物。その地味すぎるメニューは、頭を支配する情報などというものとは全く無縁。だからこそ、その味は自分自身で感じるしかない。うん。おいしい。私は、そう感じることのできる自分がいるということを知ったのです。・・・・本当に自分が好きなものなんて、そんなにたくさんあるもんじゃない。高いお金を出さなければ食べられないものでもなんでもない。 ・海苔、大根おろし、梅干しさえあれば。まず大根を買ってきたらベランダのザルの上にポンと放置しておく。すると当然、徐々にしんなりしてくる。間違ってもこれを「しなびた大根」などと呼んではいけない。「干し大根」と言う。ハリを失った大根がクネクネして、実を言うとかなりおろしにくい。・・・しなびた大根ですと水分が一切出ないのである。従って、味が非常に濃い大根おろしが出来上がるのだ。 ・どうも、幸せとは案外単純ですぐそこにあるものらしい。 ・いやね、一度炊いてみればわかります。本当に気持ちがいいから。なんでこんなに気持ちがいいのかといつも考えてしまいます。で、結局は「自由」を感じるからだと思うんですね。 ・で、ゴハンの炊き方です ①ゴメと水を鍋に入れる、水加減は、指を入れて第一関節までひたる程度でオッケー。つまりは「だいたい」でいいんです。 ②鍋を強火にかける、いきなり強火。 ③ふっとしたら蓋を分けてしばらくそのまま強火 ④水分が蒸発して米の表面ギリギリになったら、フタをして弱火、(つまりはふたをしないで、強火で水分を飛ばしていく)。そうすると水がどんどん少なくなって、ついに米の表面ギリギリになる。そしてさらに、お楽しみの「あれ」が見えてくるのでありました。そうですカニの穴!! ⑤しばらくそのまま弱火。(玄米なら20分、白米なら10分ほど) ⑥火を止めて10分蒸らす。はい出来上がり! ・失敗する自由を取り戻せ、でもね、いいじゃないですか。失敗するとなんだかんだと工夫する。それはなかなかに楽しいことです。 ・そう、大きな幸せ(ステーキの強烈な旨味、お菓子の魅惑的な甘さ)は小さいな幸せを見えなくするのである。・・・でも本当は、小さな幸せの中に無限の世界がどこまでも広がっているのだ。 ・ごま油をおたまに入れてガスの火で煙が出るくらい加熱して、ポン酢をかけたダイコンおろしの上から「ジューッ」とかける。それを玄米ご飯の上にのっけて食べてみてください。これを食べると、ご馳走とはなんなのか、固定概念がひっくり返ります。人生観が変わります。 ・ニンジンのきんぴら。味付けは塩でも醤油でも好きなようにすればいいのですが、私が1番気に入っているのは味噌味。千切りのニンジンを傘が半分になるくらいまで弱火でじっくり炒め、最後に味噌を入れてからめます。あと、カレー味のきんぴらもおいしい。 ・寒くなってきたというただそれだけで、毎年毎年律儀にどーんと登場する100円の巨大大根を目の前にすると、この世には実に気前の良い「自然の親切」というものが存在するのだということ感じることができるの。それは本当に身にしみる瞬間です。人は決して孤独ではないのです。200円ご飯を噛み締めるたびに生きる勇気がわいてくる。そんな人生を日々送っている私であります。 ・皮。種。それは確かに硬い。えぐみや苦みもある。しかし、それは野菜や果物本来が持っている味がぎゅっと詰まってるってことです。そう考えるとですね、「実」の部分って、柔らかいけどぼおっーとした薄味で、要するに「お子ちゃま」の味なんじゃ・・・・。 ・空き瓶に柑橘の果汁(ゆず、すだち、ダイダイなど)を半分入れて、そこに醤油を足す。つまり半々ぐらい。で、そこに出し昆布の破片を入れておく。これだけで超絶においしい本格ポン酢ができてしまいます。 ・人様に手料理をお出しする時の「お助け三兄弟」、それは、「鰹節」「塩昆布」「すりゴマ」です。だからこの3つを常備しておけば、少々の失敗を恐れることなどありません。 ・鍋1個、包丁1本さえあれば ミニカセットコンロ1台/ストウブのお鍋/小さな鉄のダッチオーブン/包丁1本とまな板1枚/ボウルとザル1個ずつ ・私たちはあまりにも、あらゆるところから、「これがなきゃだめだ」「これがあれば便利」「これがあればワンランク上の暮らしが!!」と言われ続け、そしてあまりにもそれを信じすぎてきたのではないでしょうか。その結果、本当に私たちに幸せになったのでしょうか。・・・・・何が自分にとって必要かは、自分で決めていいのだと思うのです。 ・最高の食卓は10分もあればできるー自分の食べるものを自分で作る。それは、自由への扉だ。あなたはその自由を手放してはいけない。 ・なぜならそれはつまるところ、自立することができれば、自分に自信が湧いてくるからだ。何があっても何とかなる。自分の力で生きていける。それって自由だし、かっこいい。何より自分自身が気持ちがいい。で、自立って、つまるところ自分の力で食っていくことです。自立というと言うと「お金を稼ぐこと」と思われているけれど、それは自立のためのひとつの手段に過ぎないのではないでしょうか。稼いだお金をうまく使って、自分で自分をちゃんと「食わせていく」ということができて、初めて自由なんじゃないかと思う。 ・で、その力はすべて自分の中にあるのです。その力を投げ捨てちゃいけない。大丈夫。全然難しくなんかない。きっと世界が変わります。だから、レッツ料理。・・・・・・・料理なんて簡単だ。そしてそこには無限の自由がある。 ・私たちはいつだって誰だって、ずっと豊かになりたいと思ってきた。そして食べることが豊かさの象徴だったが故に、私たちはいつの間にか懸命に上ばかりを見て、足元を見ることを忘れていたんじゃないだろうか。・・・・・でも、すべてはすでに足元にあったのである。 ・料理は自由への扉だ。だから自分で自分の人生を歩きたければ、誰もが料理をするべきなのである。男も、女も、子供も。自分で料理をする力をしなくてはならない。それは自らの自由を投げ捨てる行為である。 #
by nandemokoukisin
| 2019-02-14 09:51
| 読書ヒストリー
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2019年 02月 12日
この方のことは、よく分かっていませんでしたね。苦海浄土もしっかり読んだとは言えないし・・・・
未だに、すごい人らしいとしか言えません、これから、まだまだ読みこなしていかなければ、あの、「逝きし世の面影」渡辺京二さんが傾倒(支援していた)していると知ってから益々、いろいろ知りたいと思うようになりました。 新聞記事の特集(朝日新聞 2019/02/10)もありました。 <抜き書き> 石牟礼道子響く言霊・そんな彼女の様子を覗いながらふと私はそこに長年水俣病と戦ってきた彼女の生き抜く”戦術”を見たように感じた。人間は出口のない深刻な事態に直面し、その中を生き抜くにはその深刻さを希釈するユーモアや柔和さが必要であり、彼女の佇まいの柔和さは、そういった奈落世界に直面したからこそ自然に生まれ出た”戦術”ではなかったのかと思えたのである。藤原新也 ・たべごしらえおままごと 飛行機の中や列車の中で食事をとらねばならぬときは、なるべく野菜を主にした弁当を持って行くけれども、出来ないときもあるので、ほとんど絶望しながら出来合いの弁当を買う。大地の滋味などどこかへ行ってしまった大根や蕪、甘辛いだけの煮物うんおそるおそる口に運びながら、うそ寒いような、ただごとではないような思いに浸される。 詩人で作家の石牟礼道子さん(1927~2o18)が亡くなって、10日で丸一年。水俣病患者が生の尊厳を求めて闘う姿を描いた代表作「苦海浄土」は、刊行から50年を経て読み継がれている。その言葉がいま響くのはなぜか。 「石牟礼さんの小説からは、命を削っても表現したかったことが伝わってきます。読んでください」。昨年11月、熊本市の真宗寺。50年以上にわたり編集者として執筆を支えた渡辺京二さんが、約60人に語りかけた。聴衆はバス2台でやって来た、石牟礼さんのゆかりの地を訪ねるツアーの参加者たちだ。 石牟礼さんが書いた新作能「沖宮」のチケットも、昨秋の全3公演分(東京・渋谷の国立能楽堂など)がすぐ完売。毎月のように開かれる講演会やシンポジウムも盛況が続いている。 講談社によると、石牟礼さんの没後、「苦海浄土』の文庫版を3万4千部増刷。69年刊行の単行本と合わせて累計42万部を突破した。編集部は「より広い読者が手に取っている印象で、増刷はこれからも続くのでは」。 石牟礼さんが支援に立ち上がった時、水俣病の息者たちは孤立無援の状態だった。「苦海浄土」には、68年に水俣市(能本県)が初めて開催した合同慰霊祭に「一般市民が、わたくしをのぞいてただひとりも参加しなかった」と記されている。 化学原料を製造する大企業、チッソの工場排水に含まれた有横水銀で海が汚染され、そうとは知らずに魚介嘴を食べた人びとが発症した水俣病は。チッソは地元に雇用と税収を生む存在でもあった。そのため、チッソが責任を認めないまま低額の見舞金を支払うことで患者側と59年に合意すると、水俣病は「終わった」こととされた。 「ただの貧しい主婦」だったという石牟礼さんが、こうした世間の空気をものともせずに患者の支援に乗り出し、『苦海浄土』を書いたのはなぜか? 生前の取材に「悶てなりと加勢せんぱ(悶えることしかできなくても加勢しなければ)という気持ちでした」と語っていた。 詩人の高橋陸郎さんは、そんな石牟礼さんを「共苦の人」と呼ぶ。「他者の苦しみを我がこととして苦しむ人。悶えるということが、彼女の表現の根底にあったのだと思う」 苦しみ 我がこととして悶えた「苦海浄土」 渡辺さんが、石牟礼さんの特質として挙げるのは「生命に対する共感能力」。それは、精神を病んだ祖母の世話をして「ふだつの魂が重なってものを感じる」ほど心を通わせ、貝や魚があふれる不知火海の豊かな渚で遊んだ幼年期に育まれた感性だったようだ。 石牟礼さんは自伝的作品「椿の海の記」で、自然に包まれて育った少女時代を振り返り、「生命たちは有形にも無形にも、すべてつながりあって存在していた」とつづっている。 つながりあう命そのものに価値があるーー。70年代から親交のあった環境哲学者の最首悟さんは「いまこそ、その思想に学ぶ必要がある」と感じている。 ダウン症の娘と暮らす最首さんは、16年に相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で19人の命が奪われた事件の被告と、手紙で対話を続けている。 被告の男の手紙からは、生産性がない人間は生きている価値がない、という考えが浮かぶ。 「情より合理性という現在の文明の論理を、プレーキなしに徹底したのが彼。でもその考えを薄めたものは、皆の心のどこかにあるのでは」と最前さん。 「命に対して挑戦するかのような文明の論理に、どう立ち向かうか。いまは『気配」となってそぱにいる石牟礼さんと一緒に考えていきたい」(上原佳久) 食と生密接な世界観 料理研究家 枝元なほみさん 数年前、石牟礼さんが生まれた天草の宮野河内地区(熊本県天草市)を訪ねました。土地の料理を教わる雑誌の企画です。湖のように穏やかな不知火海に面したところで、近くのの磯でとれたカキや、あたりになっている橙で料理をしました。自然からいただいたもので暮らす。「食べる」と「生きる」がくっついている世界に触れた気がしました。 『椿の海の記』に、主人公の少女が父親から「やまももの実は貰うときゃ、必ず山の神さんにことわって貰おうぞ」と教わる湯面があります。自然はさまざまな生きものや神さまの気配で満ちていて、人間はその中では小きな存在に過ぎないことが伝わってきます。 石牟礼さんが『苦海浄土』で見つめたのは、自然だけでなく人の健康をないがしろにしてまで、「もっと、もっと」と利益と効率を追求する企業の姿。根っこが同じ問題は、今も変わらず存在するのではないでしょうか。原発や遺伝子組み換え食品の問題に関心を持つ私にとって、「昔のこと」としては読のない作品です。 #
by nandemokoukisin
| 2019-02-12 14:00
| 読書ヒストリー
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