勝海舟が、篤姫でも、いい役どころですね! |
山岡鉄舟、高橋泥舟と並んで、「幕末の三舟」と呼ばれる勝海舟は、文政6年(1823年)に、小さな旗本の家に生まれています。
「早期停戦と江戸城の無血開城」を主張します。それは江戸市民150万人を戦火から守り、新
しい時代の到来を冷静に分析した、勝海舟の大きな決断でもあったのです。
「日本人同士が、血を流さないためにはどうしたらいいか」。3月13日に、勝海舟は従者一人だけを連れ、西郷隆盛の待つ薩摩屋敷へ向かったのでした。
勝海舟と西郷隆盛との交渉は3、日間に及びました。勝海舟は西郷に7っの条件を上げ、その代わりに「江戸城の無血開城」を約束します。
勝海舟は若い頃、佐久間象山に師事し、威臨丸の艦長として米国との間を往復しています。その頃にすでに、勝海舟は日本とはまるで違う世界の在り方を見て、「幕藩体制」による封建政治ではこの先の世界の荒波を生き抜くことは不可能だと感じ取っていたのでしょう。激動の時代の「交渉人」として生きた勝海舟は、明治維新後も旧幕臣として要職を務めています。
子供の頃、勝海舟の子供の頃を描いた、マンガがあり、愛読していました、それで、勝海舟が好きになりましたが、無血開城のあたりのことは憶えていませんね。