上野千鶴子さん 日経 |
「要求なくして制度なし」…障害者団体がその歴史から学んだ教訓だ。制度はタナからボタモチのように降っては来ない○要求してさえ値切られるのに、黙っていてはしいものをくれるところはない。高齢者は票田としては大きな規模を持っているのにもかかわらず、組織化されていないために、政治的な影響力の行使ができないのだ。
日本には障害者運動の歴史がある。労働運動も女性運動もあった。要求は闘い取らなけ
ればならないし、獲得したものすら闘って守らなければ奪われる時代である。日本にないのは高齢者運動である。当事者のいないところで、制度の改革ができるわけがない。
世代間対立をあおりたいわけではない。高齢者の生活の安全保障を確保することで、子世代は介護負担から解放され、親の長寿をうとむこともなく、自分の人生を自由に歩むことができる。自分白身の将来のリスクにも安心と安全を期待でき、社会への連帯と信頼を維持することができる。何より成長と発展へ向かって馬車馬のように尻を叩(たた)かれ続けてきた日本人にとって、今日を生きることが明日のための手段でない時代がようやく来た、と言えるだろう。
今日を生きることが明日のための手段でない時代がようやく来た この言葉、日本人には、非常にかけている部分だと思いますね。
明日の未来のために、頑張れ、我慢しろ が当然のごとくでした。
蟻とキリギリスも同じ、趣旨で使われていました。