私の履歴書 潮田さん |
受け付けてもらえなかった。それまで中心部は薪にするしかなく、悩みの種だった。改良を重ねて大量生産したスピード雨戸は起死回生のヒットになった。納口氏から特許を買い取ったので他社はマネできない。苦節十年、初めて「差異化」が実現し、黒字経営に転じ、六五年にはおよそ三千六百万円もあった累積赤字を一掃した。納口さんはまさに救世主だった。米倉氏といい、納口氏といい、節目節目で大きな出会いに救われている。運に恵まれたからだが、運を呼び込むには我慢が必要になる。途中で事業を放り出していたら出会いもなかった。ただ我慢を続けるといっても、人様に迷惑をかけないギリギリの線は意識していた。
象字が累積する間、工場の土地も値上がりしていた。倒産しても、土地を売れば借金を返して退職金を払えるかどうかを常に考えていた。最後の一線を死守できなかったら自ら裸になる覚悟だった。