読書 日本人の死に時 その2 |
こういう老人に優しい記事を読むたび、私は憂うつになります。これでは老人から満足する気持ちを奪うばかりではないか。
・・・・・平日だけでもサービスをうけられてありがたいと思う人の、どちらがこころ安らかでしょう。我慢強い人は、それだけ満足に近いのです。
しかし、我慢や感謝の気持ちを最低限に抑えようとするマスコミの論調には、疑問を感じます。真に受けていると、いつまでたっても満足を得られません。
たとえば、ものごとに動じない毅然とした態度や、潔さ、思慮深さや、欲望ととらえわれない落ち着きなどでしょう。そんな立派な老人ばかりだったとも思えませんが、むかしの老人には、老人らしい威厳があったように思えます。
私は老人の知恵を身につけることを楽しみに老いていこうと思っています。
老人は弱るからこそ、深い知恵をつけられる。失敗し、挫折し、何度もあきらめるを経験するからこそ、新しい地平が見えるのでしょう。若さや元気ばかりにすがりついていては、知恵や満足から遠ざかるばかりです。
死が苦しくなるのは、人間があれこれ手を加えるからです。放っておけば、そんなに苦しむ前に力尽きて死にます。
早い死というのは、患者を見捨てることではありません。苦しむ時間を短くするという意味です。・・・・それを理想主義的は励ましで無理にがんばらせたり、延命治療で長引かせるのは残酷なことです。死は、自然な成り行きなのですから、どこまでも抵抗するのは不毛です。
色々な死に方はありますが、癌になったら、そのままにしておけば、普通には。一年持つことは難しく、二年は無理でしょう。そういうこともあり、今後、人によっては、ある年齢以上になった場合、一年位で確実に死ぬる癌に因る死を(特に悲惨な何年もかかる死を知っている医師には)歓迎すべきものと感じられることもあるのではないでしょう。
一般に、動作も精神的な反応も鈍くなり、死に対する反応させも鈍くなるようで、元気で健康な人の死に対する恐怖とは、少し死に対する感じが違うようです。