お客は偉くない 有栖川 有栖さん! そうだ! |
「買う時は、誰もが王様になる」という考え方もあるだろう。しかし、それだと無用のストレスが社会に広がりそうで、賛同しかねる。王様やお姫様の気分にしてあげることを目的とした一部のサービス業を例外として。小学生でもいっぱしの消費者として扱われた結果とは言え、そんな私が現在のように(転向)したのは、自分が社会に出て顧客の現場にいたせいだろうが、それに先立つ経験もある。
うどんでも食べて店を出ようとしていたらしい、おじさんは、財布を片手に、店の奥に向かって言った、「ごちそうさまぁ」。意外な言葉だった。代金を払おうとしているのに店員の姿が見当らない場合、とりあえず「すみませーん」と呼びかけるものだと思っていた。いや、それしか思いつかなかった。なのに、このおじさんは無料でもてなされたかのように、「ごちそうさま」と言う。一瞬だけ違和感を覚えた後、私の内に変化が起きた。自分のために料理を作ってくれたのだから、お礼として代価を支払うとしても「ごちそうさま」と言うのが礼儀にかなっている。考えたこともなかったけれど、それはそうだと納得し、お客は偉いわけではない、と知ったのだ。
「ごちそうさま」と言ってみた。すると、照れくさい気もしたが、それだけのことで一歩大人に近づいたように感じた。以来、店側に不始末がないかぎり「ごちそうさま」を言い添えている。
屋島で見た何でもないひとコマが、私を少しだけ変えた。あのおじさんには、今も感謝している。
先方は、すれ違っただけの少年に何事かを教えたとは努々(ゆめゆめ)思っていないだろうが、大人の言動が子供に与える影響は、かほど大きいのだ
書店員をしていて、色んな人と遭遇した。ブックカバーをつけただけで「どうもありがとう」と言ってくれる人ばかりではない。ささいな行き違いで激昂し、アルバイトの大学生に「俺は客やぞ。社長に電話したろか!」と金切り声で叫ぶ小学生をなだめたこともある。根性の曲がったガキだな、と思いつつ、君はろくな大人と会ったことないんだね、とかわいそうになった。日経新聞より
良いお話でした、本当にそう思うな、持ちもたれつの世界で、絶対一方的ということはないと思う。出てくる小学生は、なるほど不幸であるが、もし、大人だったら、もう教えてあげる人もいなければ、感じる能力もなくなっているだろう!