宮城まり子さんの私の履歴書 障害のある子の役悩む |
役者としては悔しすぎました。やれば大拍手をいただける自悟が私にはありました。でもやりませんでした。私は脚をつかまれました。見ると十五歳くらいの女の子がお父さんに抱かれて舞台のそばに来て、口を大きく開けて「まーりーこさん」と呼んでいました。
お父さんは目にいっぱい涙をため、「この子はまり子きんが大好きなのです。飛び出てすみません」と言われました。その子は私が演じるはずだったアテトーゼの子でした。満面に笑みを浮かべ、けれど笑えば笑うほどゆがんでいる顔。必死で抱きしめているお父さん、お母さんの顔。
私はもしアテトーゼの演技をしていたらと、気が遠くなる思いでした。その子がくれたクチャクチャになったチューインガムを握り 「ありがとう」と言って、他の出演者と楽屋に戻りました。
一カ月の公演中、私は拍手をもらえませんでした。でもあの子一人のためにも演じなくてよかったと思いまし鷲楽屋のドアを閉め、ありったけ泣きました。役者としては失格ですもの。大声で泣いている私に∵菊田先生から使いが来ました。「泣くな。おれもつらい」あの子は私に一生の仕事を
決断させてくれたのです。
見ている人には、わからない、葛藤がいろいろあるものなのですね!
これも凄い話だと思いました!そんな決意をして、ねむの木学園を始めたのですね。