ジャンプ 原田選手の引退 日経新聞 |
世界選手権でNH、ラージヒル(LH)の両方を制したのは日本で原田だけ。だが、一九八○年
代後半から低迷する日本を、トップレベルに引き上げた”四番打者”に勝負強いイメージは宿らない。地味な競技が日本中から注目される唯一の舞台、五輪での”三振”があまりに強烈だったからだ。
九四寄せた137材の大飛躍は「飛べたこと自体にほっとしていた」。無心の境地を垣間見た。
「目標への筋道をつくり、小さなことをこつこつ積み上げていく」のが原田の成功への哲学。「人生、山もあれば谷もある。どうせなら楽しくいった方がいい」。だからいつも、笑顔でいた。涙は、激しすぎた浮き沈みの付属物だった。
雪印スキー部のコーチに身を移して半年あまりがたつ。半歩離れてシャンツェを眺めると、日本が弱くなった理由が少し分かった気がした。「若い選手は、私に教われば飛距離が伸びると思っている」。道は自分自身で切り開くもの。そこをどう伝えるか、難問と向かい合っている。