心は病気 Ⅳ |
動けない、病気なのだから、わたしのせいじゃない」ということですね。それで自分のプライドがきずつかないように守っているのです。
たとえ失敗しても、「自分はたいしたことのない人間なんだから、まあ仕方ない」と思うだけで、全然怒りなど出てきません、落ち込むこともありません。
精一杯やったなら、失敗してもかまわない。
仏教的に言えば、どちらでも同じです。失敗しても別にかまわない。ということは成功してもべつに構わない。そういうことです。自分のことをそういう目で見る智慧があれば、心はまったく病気になりません。
「精一杯やったなら、失敗しても成功してもどちらでもかまわない」という態度です。
相手のわがままが通れば私に迷惑、わたしの迷惑が劣れば相手に迷惑ですから、中間をとって迷惑の量をできるだけ減らすしかありません。まったく迷惑を受けずに生きていくことは、人間の間では成り立ちません。実際、それを理解してしまうと、たいていのことは、気にならなくなってしまいます。
文句を言うのでなく、相手の立場を理解する。
あなたが忙しくても、まわりの人は忙しくない。
ですから、幸福な人生mつまり平和で無事で争いがなく、堂々と美しく生きていくためには、この「やさしい心」さえつくればいいのです。
再度、
生きとし生きるものが幸せでありますように
生きとし生きるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生きるものの願いが叶いますように
生きとし生きるものに悟りの光があらわれますように
生きとし生きるものが幸せでありますように
”私が幸せでありますようにと念じる時のエネルギー”と”生きとし生きるもののを念じる時のエネルギー”が一緒になった瞬間に、すべての精神的な問題や心の悩み、苦しみは全部消えて、この世の中はなんの問題もなくなっているはずです。一人の人間としての精神的な問題は、そこで終わります。
お釈迦様は、「慈悲の心がある人は、グラフマン(梵天)だ」とおっしゃっています。
我々は、ゴキブリどころか微生物や最近まで、慈悲を持ってやさしい心で見られるように、自分を育てなくてはなりません。それが人間の生き方に対する答えです。